信濃毎日新聞社の歴史

1873(明治6)年

「長野新報」として創刊第1号を発行。1部3銭
1881(明治14)年 「官許長野毎週新聞」「長野新聞」「長野日日新聞」「信濃日報」を経て
この年「信濃毎日新聞」と改題
1884(明治17)年 秩父事件で初めて号外を発行。当時は付録と呼んだ
1890(明治23)年 株式会社組織(資本金1万円)に改め、紙面を刷新
「不偏不党、広く自由の主義を採り」と宣言
1891(明治24)年 初めて全ページ広告を掲載
1908(明治41)年 長野市旭町に初めての本社社屋を建設
1922(大正11)年 夕刊(4ページ)の発行開始
関東大震災
1923(大正12)年 長野市南県町に県内初の鉄筋コンクリート3階建ての社屋が完成。2004(平成16)年まで使用
1924(大正13)年 信毎年鑑を初めて出版
1933(昭和8)年 日本、国際連盟脱退
主筆桐生悠々、社説「関東防空大演習を嗤ふ」を掲載、
信州郷軍同志会が反発して不買運動を展開。桐生退社
1942(昭和17)年 太平洋戦争中の新聞整理統合で1県1紙に
1945(昭和20)年 中央紙の地方疎開非常措置で県内の新聞はすべて信毎の名で印刷
1956(昭和31)年 松本本社に輪転機を新設、中南信向けの朝刊印刷を開始
1961(昭和36)年 漢字テレタイプの導入で、国内で初めて新聞製作を機械化し、新聞協会賞(経営・業務部門)を受賞。以来、2005年、新聞協会賞計9回受賞
1970(昭和45)年 松本本社を松本市宮田に移転新築。長野本社から紙面をファクシミリで送信し、印刷へ
1973(昭和48)年 創刊100周年。発行部数30万部を突破
1979(昭和54)年 コンピューター利用の新聞編集・制作システム「コスモス」本格稼働。鉛活字時代が終わる
1983(昭和58)年 朝夕刊のニュース面で本格的なカラー印刷開始
1989(平成元)年 全国の新聞社で初めて記事を全面ワープロ入力
1991(平成3)年 米ミズーリ州のセントルイス・ポストディスパッチ紙と姉妹提携
1991(平成3)年 人工知能を使った新聞編集・制作システム「ニューコスモス」導入
社会面連載「扉を開けて」で菊池寛賞
1993(平成5)年 創刊120周年、紙齢4万号に。発行部数45万部
1994(平成6)年 塩尻市に新印刷工場、塩尻製作センター完成
1998(平成10)年 長野冬季オリンピック・パラリンピック開催。公式新聞、公式ガイドブックを発行
2001(平成13)年 長野製作センター完成、40ページすべてカラー印刷が可能に
2003(平成15)年 新しい本社社屋着工
創刊130周年。発行部数48万部
2004(平成16)年 新本社社屋で業務を開始
2005(平成17)年 記事情報を新聞制作に加え、インターネットや電波メディアへの発信、紙面記事データベースなどに一体的に活用する新制作システム「コスモスV(スリー)」完成。これにより、05年の新聞協会賞(技術部門)を受賞。
新本社社屋が竣工
2008(平成20)年 塩尻製作センター増改築工事完成。長野製作センターに続き、40ページカラー印刷が可能に
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