怪しいTV欄

2018.6/17

5歳の「反省文」に社会の歪さ

 
 読みあげながら、涙ぐむ女性アナウンサーもいました。
 
 東京都目黒区で、虐待を受けていた5歳の女の子が衰弱死し、両親が逮捕された事件。亡くなった女の子がひらがなの書き取り用のノートに書いていた文章が、多くのニュース、情報番組でとりあげられました。

 小池百合子都知事が「大人でも書けないぐらいの素晴らしいメモ」と定例会見で表現したその文章は、とてもしっかり書かれています。自身の苦しみ、その苦しみをもたらしている両親の行動について彼らはどんな意図を表明しているか、そしてどのようにすれば解決が期待できるかを理解している文章です。

 親から繰り返し暴力を受け、ひどい栄養失調の状態にあって、監禁のように冬のベランダに出されるなどして、肺炎による敗血症で亡くなった。その被害者は、「パパとママにいわれなくても しっかりと じぶんからきょうよりかあしたはもっとできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」と書いていました。

   ◇   ◇

 子どもの虐待死はこれまでも報道されてきましたが、亡くなった本人がどのような思いでいたかは、推察や想像に委ねられることがほとんどです。しかし、今回は違う。

 悲しい。ひどい。許せない。そう感じると同時に、こうした思いはこの文章を突きつけられたからこそ強まっていて、これまでの推察や想像が不十分だったことも突きつけてきます。多くの大人がそうだったことが、対策の遅れを許してしまった。

 近い年齢の子どもに接する機会が多くなく、この被害者を「小さな子ども」とおおまかな把握をする大人は、特に衝撃を受けたはず。事件の悲惨さゆえに、まだ小さな子どもだから自分の身に何が起きているか、よくわからなかったのではないかという考えに逃げ込みたくなるのを、この文章は強く阻みます。

 そして自分への仕打ちを、悪いことをした罰、しなければいけないことをしなかった罰だと理解していたことも物語ります。母親と、その母親と結婚した父親。彼らは罰を与えているのだという愚かな言い訳を口にしつつ、ひどい仕打ちをしていたと考えるのが自然でしょう。報道によれば、暴行していた父親は、躾(しつけ)だったと説明しています。

 またこの文章は、「パパとママ」を省いて、ほんの少しだけ言葉を補い漢字に置き換えてみると、学校や会社など自身が所属する集団への復帰を願って提出する反省文として、必要な要素を満たしています。

 躾だ、罰だのと暴力にまとわせた愚かな言い訳を、この5歳の女の子は懸命に理解しようとし、理解する能力も身につけていた。自分に起きていることも、大人に説明できたはずだと思うと、救えなかった無念は募るばかりです。

 そして、形式をなぞったわけでもないのに反省文の要件を満たすこの文章が、果たすべき責任の自覚に基づいている点にも気づかないわけにはいきません。もちろんそれは、本来子どもが果たす必要のない責任です。

 責任を強い、ひどい状況を強いる。自己責任と称して弱者を追い込む社会。その歪(いびつ)さも、私はこの文章に見ました。