7月1日から始まった新連載小説「真田三代」。作者の火坂雅志さんは、今年のNHK大河ドラマ「天地人」のヒットで、新作への期待が高まっている歴史小説家です。戦国武将の中でも抜群の人気の真田幸村をはじめ、真田一族が、どんな活躍をみせるのでしょうか。火坂さんに、新連載にかける意気込みや現段階での構想を聞き、併せて、真田三代の歴史や小説に登場する信州の主な舞台を紹介します。

 ―なぜ真田三代を小説に書こうと思ったのか。

 「天地人」で、真田幸村は、主人公直江兼続(かねつぐ)の弟子という設定になっています。幸村は、真田家が上杉家に同盟を申し入れたことから、数え年で19歳の時、人質として春日山城(現上越市)に入りました。でも、上杉家は幸村に所領を与え、人質扱いしなかった。多感な年ごろだった幸村は感動したのではないでしょうか。兼続が師の謙信から受け継いだ「義」の精神に、幸村もまた、かなり影響を受けたと思われます。私の構想では、真田幸村と上杉謙信についても書き上げた時、「天地人」の世界が完結するのです。

 せっかくなので、幸村だけでなく、祖父の幸隆からたどり、「真田一族とはなんぞや」という根源的なところに迫りたい。

 ―作品を通して読者に伝えたいことは。

 弱小勢力の真田勢が、徳川勢に2度も勝った。なぜ小さな山里から天下に名をなすまでになったのか。真田は、知恵のある一族で、効率のいい組織づくりをした。いち早く情報を仕入れて行動した情報通だったとも言われます。それは忍者を使ったからだとされますが、それだけでできるか疑問でした。実は真田が守ったのは、上田や鳥居峠、上州・沼田など、舟運や陸路の流通の結節点だった。山間地にいても情報が入り、経済効果もあった。真田は全国へ打って出る基礎能力が高かったわけです。

 信州の気風なのか、新しいものをどんどん実行することで、自分たちの生きざまを示した。山間地を不利とするのではなく、それをどう生かしていこうか、とポジティブ(積極的)なんですよ。困難が襲ってきても、めげずに知恵を絞った。そうした真田一族の生き方を伝えるとともに、自分も学んでいきたいですね。

 ―現段階での構想は。

 幸隆の戸石(砥石)城(現上田市)攻めから、大坂の陣まで、真田一族が勃興、発展し、歴史に名をなすまでに至った幸隆、昌幸、幸村の三代の姿を、完全に描きたい。おおまかな目論見(もくろみ)はありますが、あとは柔軟に書いていきます。

 ―歴史小説の魅力は。

 いろいろな人生を描くことで、その人の思いや、人と人がこんなふうにつながっていたのか、と知ることができる。歴史に名を残すほどの人の生きざまは、ダイナミックで楽しい。これから自分はどう生きるべきかとか、世の中をどうとらえたらいいのか、かなりの指標を得ることができる。それが歴史の面白さなんですね。

 ―「天地人」には、地方を見直す視点がある。「真田三代」にも引き継ぐのか。

 戦国時代は、応仁の乱で京都が疲弊した一方、大名が治めた地方にこそ経済力があり、文化が充実し、栄えていました。いわば「地方主権」の時代。「天地人」を書く過程で、それに気付き、新しい視点が開けました。“山の一族”が全国区になっていったのは、地方が持つパワーがあったから。それが何なのか、書きながら確かめていきたいと思います。

【写真説明】「真田三代」執筆のため、上田市を取材に訪れ、市文化財保護審議会委員の案内で見学する火坂さん(左)=3月、上田城跡公園

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南信も舞台に

 小説では、上田市周辺のほかにも、幸隆、昌幸の仕えた武田氏が織田勢と戦った南信も舞台となる。1582年、武田氏の勢力下にあった飯田城(現飯田市)と高遠城(現伊那市)が相次いで落城。高遠城では、信玄の五男、仁科盛信が必死の抗戦をしたが討ち死にした。織田勢との戦いに備え、諏訪に出陣していた武田勝頼は甲斐(現山梨県)に退却する。

 織田信長は戦果を確かめるため、法華寺(諏訪市)に入ったとされる。諏訪市博物館によると、明智光秀が、信長に「われわれも骨を折ったかいがあって、諏訪郡の内はことごとく、お味方の軍勢です」と言ったところ、信長は「おまえごときが、いつ、どこで手柄をたてた。生意気なことをいうやつだ」と言ってせっかんしたという。

 関ケ原の戦いで徳川方についた、幸村の兄信之は徳川幕府の命で、初代松代藩主になる。

戦国史の華、拠点は上田

 真田一族は戦国史の華である。真田一族が存在しなかったなら、日本史はどれほど味気ないものになっていたであろう。

 真田氏勃興(ぼっこう)のきっかけを作ったのは、初代幸隆(ゆきたか)である。信州真田郷の地侍だった幸隆は、戸石(砥石(といし))城(現上田市)攻めで大功を挙げ、武田信玄の信頼を得ていく。信玄が上州へ進出すると、その先鋒(せんぽう)となり、吾妻(あがつま)郡の岩櫃(いわびつ)城(現群馬県東吾妻町)の城代に任じられた。

 幸隆の跡を継いだのが、二代昌幸(まさゆき)。昌幸は父をもしのぐ鬼謀の士で、武田家滅亡後は、北条、徳川、上杉と、めまぐるしく主君を替えながら、天下人となった豊臣秀吉に従っていく。上田城に攻め寄せる徳川の大軍を、2度も撃退したことで名高い。

 その鬼謀の血は、やがて昌幸の子幸村(ゆきむら)に受け継がれ、大坂冬、夏の陣で徳川家康をさんざんに悩ませて、「真田日本一のつわもの」と、敵味方から称賛されることになる。この真田三代の興亡を、新研究をふまえ、あますところなく描きつくす戦国叙事詩である。

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