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朝千両のにぎわい。日本橋の魚河岸(うおがし)はそう伝わるほど競い合って栄えた。江戸幕府ができた1603年ごろ始まった魚市場だ。明治に入り周辺に銀行が開業、すると路上での魚介取引は不衛生と問題になった

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移転を計画し命令した行政に魚問屋が猛反発。計画は頓挫する。転機は1923年9月1日の関東大震災。被害を受けた魚河岸は曲折の末、東京市が築地に設けた臨時魚市場に移り京橋の青物市場と合体して築地市場が開業する。震災から12年後のことだ

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取引の仕組みも卸売と仲卸の業者らによる現在の形に改革された。だが問題はまだあった。新しい市場の建物の構造は扇形。場所によって店舗の面積も条件も異なり命運が決まってしまう。そこで毎年、抽選で場所を総入れ替えする苦肉の策が取られた(福地享子著「築地市場」)

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魚市場としては世界最大級、水産物の取引に1日15億円の金が動く。事務所を置く会社や業者は約950。その移転となれば一筋縄でいかない。豊洲新市場への移転に反対する業者もいて小池百合子都知事は延期を決めた。当然ながら推進派は猛反発する

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水産物を市場の店舗で販売している約600の仲卸は債務超過の業者が多い。移転費用が捻出できないまま廃業する業者も少なくない。最新鋭の市場とパフォーマンスめいた知事の決断の陰に悲喜こもごものサバイバル物語が隠れている。

(9月2日)

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