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同郷のよしみ声援熱く 長野出身 車いすバスケ藤沢選手へ

日本のシュートが決まり、観客席で拍手する山岸さん(中央)=8日(本社稲田俊撮影)日本のシュートが決まり、観客席で拍手する山岸さん(中央)=8日(本社稲田俊撮影)
 リオデジャネイロ・パラリンピック車いすバスケットボール男子の1次リーグ日本対トルコ戦が行われた8日(日本時間9日)、藤沢潔選手(30)=埼玉ライオンズ、さいたま市在住=らの日本チームに、多くの日系人が観客席から声援を送った。その1人、リオ在住の山岸正可(まさよし)さん(76)は、藤沢選手と同じ長野市豊野町出身。同郷の若者が出場すると聞き、応援に駆け付けた。試合は惜しくも敗れたが、「決勝トーナメントに出場できるよう、できるだけ応援に来たい」と話した。

 試合で藤沢選手は各クオーターの終盤で登場。「体格の大きな外国選手と戦うなんて大変だ。誇りに思うよ」。山岸さんは感心しながら拍手を送り、試合を見つめた。

 1908(明治41)年に始まった日本の移民政策は太平洋戦争で停止されるが、終戦後の52年に再開。山岸さんは19歳で単身、ブラジルに渡った。「ブラジルにはカネのなる木があると言われていた」。農家の長男だったため猛反対した家族や親戚を振り切るように日本をたった。

 ブラジルでは日系人農協組織に入り、内陸の開拓地でジャガイモを作った。しかし、独立して農地を広げたところ、ジャガイモが暴落。リオに移り住んで農産物販売、日本の電化製品販売などを経験してきた。

 長野に帰郷したのは20年ほど前、父親が亡くなった際の一度きり。「日本を捨てた人生」と表現するが、同郷の選手がパラリンピックに出場すると知り、「何とも言えない思いが込み上げた」。試合で躍動する藤沢選手の姿を見て、「1次リーグは、まだ残り4試合ある。頑張ってほしい」とエールを送った。

 長野市豊野町では、住職の高田法雄(ほうゆう)さん(75)ら山岸さんの小中学校の同級生もリオに声援を送っている。高田さんは藤沢選手が通っていた保育園の元園長。園児だった藤沢選手は跳び箱で遊んでいて尻を打ち、下半身が不自由になった。「障害を乗り越え、世の中の光になってほしいと思っていた。パラリンピック出場でそれを実現してくれた」と喜び、健闘を祈る看板も作った。

 高田さんはかつて、山岸さんの父に頼まれ、ブラジル行きを断念させようと説得したという。山岸さんが現地で藤沢選手を応援すると知り、「奇遇だ」と笑った。

(9月10日)

長野県のニュース(9月10日)