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桐生悠々の資料目録化 金沢の「偉人館」書簡など450点

清沢洌(左下)、芦田均(上)、尾崎行雄らが桐生家に送った書簡=7日、金沢ふるさと偉人館清沢洌(左下)、芦田均(上)、尾崎行雄らが桐生家に送った書簡=7日、金沢ふるさと偉人館
 戦前のジャーナリストで信濃毎日新聞主筆を務めた桐生悠々(1873〜1941年)の直筆原稿など、昨年親族から寄託された資料について、出身地・金沢市の「金沢ふるさと偉人館」が目録化した。悠々に届いた書簡の送り主などが一覧でき、言論統制の時代に軍部批判を貫いた悠々と交流、支持した人とのつながりが浮かぶ。資料を手掛かりに、10日で没後75年を迎えた言論人の実像を探ろうとする動きも出ている。

 資料は悠々の孫の浩三さん(74)=東京都練馬区=が寄託。同館は10日までに計約450点のリストを作った。このうち80点余が悠々宅に寄せられた書簡だ。

 送り主には、長野県安曇野市出身の外交評論家・清沢洌(きよし)(1890〜1945年)や反戦思想家の水野広徳(1875〜1945年)、評論家の徳富蘇峰(1863〜1957年)らの名前が連なる。

 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄(1858〜1954年)、戦後首相となる芦田均(1887〜1959年)、「電力の鬼」と呼ばれた財界人松永安左エ門(1875〜1971年)らの書簡もあり、政財界の有力者との交友がうかがえる。

 悠々が死去した1941(昭和16)年9月10日以降、遺族に届いたお悔やみの手紙が多い。清沢洌は「先頃、(悠々の個人誌「他山の石」)廃刊の言葉をいただき、今また訃報を聞く。感慨切なるもの有之候(これありそうろう)」と嘆いた。

 偉人館の学芸員増山仁さん(58)は、悠々が戦争に向かう時代に真っ向から軍部批判を展開しただけに、「表立って支持は表明しにくかっただろう」と推測。晩年の悠々は困窮したが、筋の通った主張に共感して個人誌を購入した人は多く、「言論統制の時代にも悠々を支えていた人々がいたことが分かる」と話す。

 資料を研究に生かそうとする動きも。長野市出身で駒沢大大学院修士課程1年の西沢梨花さん(23)は、信毎にいた悠々が33年に社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」を書き、軍部の怒りを買い、やがて退社したことに注目。「信州の言論に何らかの影響を与えたのでは」と考えている。

 悠々の著作を読んで「軍部の圧力に負けず、誇りを持ち続けた」姿に引かれた。今月中に偉人館を訪ね、書簡などを調べる考えだ。「さらに深く知るために、悠々の交流関係に着目したい」と話す。

 孫の浩三さんが資料を寄託したのは、多くの人に悠々の存在を改めて知ってもらいたい思いだった。浩三さんは、西沢さんら若い世代が関心を向ける動きに「ありがたいこと」と喜んでいる。

(9月11日)

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