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喬木の「伝助パン」飯田で復活 長男「父の思い伝えたい」

「伝助パン」の牛乳パンを復活させた原寛社長「伝助パン」の牛乳パンを復活させた原寛社長
 「あ〜あ〜、食いたし伝助パン」。昭和の長野県下伊那郡喬木村の子どもたちが思い焦がれ、流行歌に乗せて歌ったパンの店「伝助パン」が、かつて同村阿島にあった。そのパンを飯田市東新町の洋菓子店「トップ」が復活させた。伝助パン創業者で2012年に90歳で亡くなった原伝助さんの長男でトップ社長の寛さん(66)が、記憶を頼りに再現した牛乳パンを7月から販売。同村を中心に話題を集めている。

 伝助パンは、名古屋で修業を積んだ伝助さんが戦後間もない頃に開業。あんパンやジャムパンなどを作り、村内の商店を中心に卸売りしていた。寛さんがトップを開業した1978(昭和53)年からは同店を手伝い、87歳まで現役でパンを焼き続けた。

 喬木村のお年寄りに、伝助パンはなじみの味だ。阿島で食料雑貨店を営み、伝助パンの商品も扱っていた土屋武夫さん(87)は「一定以上の年齢で味を知らない人はいないくらいでは」と話す。「小さい頃、高根の花だったなあ」と振り返るのは前喬木村長の大平利次さん(74)。甘い物がまだ貴重な時代、当時ラジオで流れていた曲の歌詞を変えて口ずさみながら、小学校から帰ったという。寛さんは「喬木ではうちの店よりも、伝助パンの方がまだ有名なくらい」と苦笑いする。

 今回トップで復活した牛乳パンは、ふっくらと焼き上げたパンの間にホイップクリームがたっぷり。クリームに入ったオレンジの皮の砂糖漬けがアクセントになっている。

 洋菓子職人の寛さんに代わってスタッフが手作りし、「喬木村伝助パンの牛乳パン」と書き添えて店に並べている。レシピが残っていないため味は「トップ流」だが、寛さんの記憶をたどって形は当時のものを再現。縦20センチ、横7センチ、厚さ6センチほどの長方形で、色とりどりのケーキや工夫を凝らした総菜パンが並ぶ店内で、その素朴さが際立つ。

 「『伝助パンをまた食べたい』というお年寄りが多いもんだから」と寛さん。だが復活させた理由は他にもある。牛乳パンは1枚の大きな生地を一気に焼き上げてから切り分ける。寛さんの目には、粉まみれになりながら、グローブのような厚い手で生地を丹念に麺棒で延ばす父の姿が今でも焼き付いている。

 「機械化された市販のパンも確かにおいしいけれど、職人が作り、少し高くつくものが見向きされなくなるのは寂しい」。伝助パンの復活には、生涯心を込めてパンを作り続けた父親の気持ちを伝えたい―との願いもあった。

 そんな思いが届いてか、牛乳パンの評判は上々。1日に50個ほどが売れ、同店のパンの中では一番の売り上げという。1個税別230円。問い合わせは同店(電話0265・23・9001)へ。

(9月15日)

長野県のニュース(9月15日)