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「噴火6時間後まで連絡取れた…」 御嶽山噴火、愛知の家族

大図和彦さんと父の正文さんの遺影が飾られた仏間で、和彦さんが御嶽山で背負っていたザックを手にする純司さん=17日、愛知県碧南市大図和彦さんと父の正文さんの遺影が飾られた仏間で、和彦さんが御嶽山で背負っていたザックを手にする純司さん=17日、愛知県碧南市
 2014年9月27日に起きた御嶽山噴火で行方不明になった愛知県碧南市の運送業大図和彦さん=当時(49)=の弟の純司さん(49)が20日までに信濃毎日新聞の取材に応じ、噴火の6時間後まで兄と電話で連絡を取り合ったことを初めて明かした。噴火後もしばらく生存していたことを確認できただけに、噴火から2年となる今も見つからないことにやり切れなさを感じており、「兄がいないことが信じられない」と語った。

 和彦さんは噴火当日朝、消防団OBの仲間2人と木曽郡王滝村の登山口から入山。王滝頂上山荘から山頂の剣ケ峰までの「八丁ダルミ」で、午前11時52分に発生した噴火に巻き込まれたとみられる。

 純司さんは、噴火から約3時間後の午後3時前に和彦さんの携帯電話にかけた。和彦さんは電話に出て「聞いていないのか。噴火したんだ」と叫び、「倒れている。動けない」と荒い息遣いで話した。「誰が倒れているんだ」と尋ねると、同行して亡くなった仲間の愛称のような言葉を口にした。

 純司さんは断続的に電話をかけた。午後4時半ごろ、通じると、和彦さんは「動けない」と言い、声が弱々しくなり「(明日)取引先に行けなくなった。連絡してくれ」と頼んできた。

 午後6時ごろ、父親の正文さんが電話すると、和彦さんは「動けない」と一言だけつぶやいた。「何を言っているんだ」と励ましたが、それ以降、電話に出なかった。

 純司さんは、噴火翌日からの捜索で発見されると思った。火山灰が数十センチ積もるほどの時間帯を乗り切り「少なくとも上半身は地面に出ている」と考えたが、10月16日までの捜索ではザック以外は見つからなかった。

 純司さんと正文さんは同日、御嶽山に出向き、ヘリコプターで山頂付近を眺めた。正文さんはその帰途、心筋梗塞のため78歳で亡くなった。純司さんは「ショックが大きかったのだろう」と振り返る。

 ザックの発見場所は記録がなく、はっきりしていない。純司さんは和彦さんが噴火後、自分で119番通報したことを知り、木曽広域消防本部(木曽郡木曽町)に当時の通話内容などの開示を求めたが「個人情報保護」を理由に明らかにされていないという。

 今夏、遺族らが小型無人機「ドローン」を使って再び捜索を始めた。純司さんは「一緒にやりたいが、考えるだけで血圧が上がってしまう」。純司さんは碧南市で、和彦さんと同じく個人で運送業を営み、仕事を紹介してもらうこともあった。「本当にもういないのか。戻ってくるんじゃないか」。仕事で一緒に回った道を通ると、兄の姿が思い浮かぶ。

(9月21日)

長野県のニュース(9月21日)