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秩父事件の最後の戦いとなった小海町東馬流では、住民の手で史跡が大切に守られている。1884(明治17)年11月9日早朝、北相木村の菊池寛平率いる困民軍が鎮圧された地だ。困民軍13人と警官1人が戦死したほか、農家の女性も巻き添えになった

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井出ジャウ。当時30歳、4人の子どもがいた。埼玉県秩父地方の農民らが武装蜂起した10日間の騒乱でただ一人、一般人の犠牲である。乳飲み子をおぶって自宅から避難の途中、鎮圧軍の銃弾が太ももを貫いた

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5日後の本紙は「暴徒要報」と題した記事で、ジャウが白い手巾をかぶっていたために鉢巻きをした賊と間違われたらしく、気の毒だった―と報じている。幸い無事だった背中の男児は実家に預けられた。ちょうど弟夫婦にも長男が生まれていたからだ

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しかし分け与えるには母乳が足りず、2人とも栄養失調で亡くなった。この乳児も犠牲者と言えよう。事件の背景には、明治政府の重税とデフレ政策による生糸暴落がある。農民は借金にあえぎ、高利貸の横暴を抑えるように求めたが、聞き入れられなかった

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先日、東馬流を訪ねると小菊が家々を彩っている。かつては「逆賊」として口に出すのもはばかられたが、地元では好意的に見ていたようだ。悲しみに暮れたジャウの実家でも「世均(よなら)しのためだった」と語られたという。農民の思いが伝わる山村の史跡である。

(11月8日)

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