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戦時の記憶受け止めてくれた 両陛下と元満蒙開拓団員ら懇談

元開拓団員らと懇談した天皇、皇后両陛下。桜井こうさん(右から3人目)は皇后さまから「もっとお近くに」と声を掛けられた=17日午前11時8分、阿智村元開拓団員らと懇談した天皇、皇后両陛下。桜井こうさん(右から3人目)は皇后さまから「もっとお近くに」と声を掛けられた=17日午前11時8分、阿智村
 忘れられず抱えてきた戦時の記憶を、両陛下は受け止めてくれた―。下伊那郡阿智村の満蒙(まんもう)開拓平和記念館で17日、天皇、皇后両陛下と懇談した飯田下伊那地方の満蒙開拓団員や青少年義勇軍だった3人。満蒙開拓の歴史と平和を発信する記念館の活動に協力しており、戦争を語ることができる人が減る中、語り続ける思いを強くした。

 「今でも語り部をやっているのですか」。元河野村開拓団員の久保田諫(いさむ)さん(86)=下伊那郡豊丘村=は両陛下との懇談でこう問い掛けられた。80歳を超えても語り部を続け、依頼があれば県外へも出掛ける。「できるだけ多くの人に知ってもらいたくて、思い出したくないことも語っています」と説明した。

 開拓団が逃避行の果てに、集団自決に追い込まれ、1人だけ生還したことを両陛下に伝えた。14歳で旧満州(中国東北部)に渡り、日本が敗戦した時は15歳。集団自決を手伝わされ手をかけたこと、子どもや高齢者がまず犠牲になり、最後に久保田さんと男性1人が残ったこと―。手首を食い切っても死ねず、小石で互いの額を殴り合った。「その時できた傷です」と額を見せた。

 久保田さんは取材に「苦しい話は忘れたいんだけど、やっぱり平和のために皆さんに分かっていただきたい。そのために一生懸命語っている」。両陛下の訪問を「よくぞこの田舎へ足を運んでいただいた」とうれしがった。

 青少年義勇軍の両角中隊の一員として渡満した湯沢政一さん(86)=飯田市=は両陛下に、「14歳の子どもに武器が渡され、終戦の時には開拓民を護衛してハルビンまで避難しました」と話し始めた。

 敗戦後のハルビンで「中国人の厚い情けで日本に戻ることができました」と話すと、天皇陛下は「厚い情けというのはどういう(ものですか)」と尋ねられた。氷点下数十度にも下がる極寒の満州。湯沢さんは「私たちは子どもですから温かい食事と部屋を提供され、中国人の家庭に入りました。おかげで今日現在があります」。戦後も中国を6回訪ね、家族と交流を続けたことにも触れた。

 約280人いた両角隊員のうち、76人が日本に引き揚げることなく飢えや病で亡くなった。「お前が行くなら俺も行く」と言って参加し、帰らぬ人となった幼友達を忘れない。両陛下に「毎年、彼らのための慰霊祭を続けております」と話した。

 元水曲柳(すいきょくりゅう)開拓団員の桜井こうさん(92)=飯田市=は1944(昭和19)年1月、夫安雄さんと結婚して満州へ渡った。逃避行の際に長男を満州で亡くしており、皇后さまに「大変つらかったでしょう」と言葉を掛けられた。懇談後、「両陛下のお優しい顔で緊張がほどけました」と笑顔を見せた。

 天皇陛下は3人の話に、「そういうことを経て今の日本がつくられた。みなさんがつくられた日本です。経験を共有できることが大事だと思っております」と語った。

 懇談に同席した寺沢秀文副館長(62)は「満蒙開拓の歴史に目が向くようにという両陛下の思いだったのではないか。応援と受け取り、さらに展示を充実させたい」と意欲を新たにした。

 17日は両陛下が帰った後、通常より多い238人が記念館に来館してにぎわった。記念館前では、満州の地を思わせるポプラ並木が、黄色に色づいて揺れていた。

(11月18日)

長野県のニュース(11月18日)