長野県のニュース

飯綱町出身・最後の貴族院書記官長 小林次郎日記、出版へ

小林次郎の日記のコピーを見る亜細亜大の今津准教授(中央)ら=東京都千代田区小林次郎の日記のコピーを見る亜細亜大の今津准教授(中央)ら=東京都千代田区
 明治憲法下の貴族院の事務職員トップ「書記官長」を最後に務めた上水内郡飯綱町出身の小林次郎(1891〜1967年)がしたためた日記が来月上旬、「小林次郎日記」として出版される。戦争末期から終戦直後まで、終戦の年の政府高官や国会議員の動向を伝えており、激動期の史実を補完する資料として日の目を見ることになる。

 日記の原本は国立国会図書館が保管し、貴族院議員の遺族らでつくる一般社団法人尚友(しょうゆう)倶楽部(東京)が活字に起こした。戦況悪化で総辞職した東条英機内閣の後を受けた小磯国昭内閣時代の1945(昭和20)年1月1日から、終戦を挟んで幣原喜重郎内閣時代の同年12月31日まで、4内閣が目まぐるしく変わった1年間を記載している。

 翻刻の責任者を務めた亜細亜大法学部の今津敏晃准教授(歴史学)によると、小林は自分の考えはあまり記していないが、出会った人物の言葉を多く記述。終戦前には、貴族院議員らが政府や軍を批判する動きがうかがえ、例えば1月5日には、小林を訪ねた人物が小磯内閣を「無策なり」と断じたことを記した。

 終戦後は、昭和天皇の戦争責任問題についての記述が目立つ。10月に連合国軍総司令部(GHQ)との会合を持った宮内次官を2回にわたって訪ね、「天皇の平和愛好者なることを(GHQに)説明す」と聞いたとある。盛んに議論され始めた貴族院の存廃を巡って動揺する議員らをよそに、小林は「混乱を生ずるおそれある」として発言を控えた―とも記している(9月7日)。

 県内出身者の名前も多く登場。5月17日には、東京市長を務めた貴族院議員の伊沢多喜男(たきお)(伊那市出身)から天皇上奏の案件で依頼を受けた―と記述。貴族院議員で「製糸王」と称された今井五介(岡谷市出身)や、戦前、郵便や通信を管轄する逓信院総裁を務めた塩原時三郎(千曲市出身)らの名前も度々見える。

 先行きの見通せない時期だけに、今津准教授は「情報が集まる小林を頼る県出身者が多かったのではないか」と推測。日記の価値について、伊藤隆東京大名誉教授(日本近現代史)は「書記官長の立場で知り得た情報を克明に記している。これまでに判明している史実を補う価値のある資料だ」としている。

 日記は240ページ、2700円(税込み)。問い合わせは芙蓉書房出版(電話03・3813・4466)へ。

(11月29日)

長野県のニュース(11月29日)