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満州へ…花嫁の夢と不安 阿智出身女性の詩 記念館に

原さんから届いた写真や詩を懐かしむ藤松さん原さんから届いた写真や詩を懐かしむ藤松さん
 下伊那郡高森町下市田の元町教育長、藤松千年男さん(98)が、戦中に満州(現中国東北部)で出会った黒台信濃村開拓団員、原喜久子さんが詠んだ10編の詩を同郡阿智村の満蒙(まんもう)開拓平和記念館に寄せた。原さんは開拓団の男性と結婚するため旧会地村(阿智村)から満州に渡ったとされ、敗戦後の足取りや親族の所在は不明。藤松さんは、「大陸の花嫁」が不安と期待を抱えていたことを知ってほしいと願っている。

 旧穂高町(安曇野市)出身の藤松さんは、青年学校に通っていた1939(昭和14)年7月から約4カ月間、「興亜青年勤労報国隊」として満州に滞在。旧ソ連国境の黒台信濃村開拓団の原さん宅で1カ月ほど寝泊まりして畑仕事や家事を手伝った。藤松さんは「(原さんは)きれいな人で結婚したばかり。ヒエが入ったご飯がおいしかったのを覚えている」と振り返る。

 原さんは37年か38年の12月ごろに村を出て列車や船を乗り継ぎ、開拓団に着くまでを詩で表現。10編あり、帰国後の藤松さんに手紙と一緒に送られてきた。

 「一、故郷出発」では「夜明けぬ暗き街道を車に乗って走りつつ総(す)べて覚悟はしたけれどやっぱり生まれた故里を別れて行く身はうらさびし」。「三、敦賀の夜」では「内地で最後の夢むすぶ橋本旅館の一室に宿の寝巻(ねまき)に着がえつゝ今日の一日汽車の旅なんだか夢のようだなあ」。

 「四、船出」では「今日はいよいよ日本と別れて行くのだ満州へ大君の為(ため)国の為アジア建設その為に」と奮起。日本海に面する清津に上陸し、牡丹江を経由して黒台信濃村開拓団に着いたのは出発6日目の朝。「十、信濃村到着」で「見渡す限りの銀世界二、三里僅(わず)か前方にソ連の山が見えるのだ匪賊(ひぞく)の集ふ山もある夢にまで見た別天地」とつづった。

 藤松さんによると、帰国後に続いた原さんとの文通は40年にぷっつり途絶えた。後に、原さんは慣れない土地で精神的に苦しんだ―と聞いた。藤松さん自身も戦地に駆り出され、つながりはそれきりになった。

 84年に県開拓自興会が出版した「県満州開拓史名簿編」によると、原さんの消息は奉天を最後に途絶え、「未帰還」「残留」と記される。夫は奉天(瀋陽)で射殺されたとの表記だ。

 藤松さんは昨年11月、天皇、皇后両陛下が満蒙開拓平和記念館を訪問されたことに、「伊那谷に来てくれたのはすごい」と歓迎。同時に原さんのような人にも多くの人に思いをはせてほしいという気持ちが膨らんだ。「一庶民、うら若き女性がつづった戦前の記録と、書かれざる戦後の非運を消し去っていいのか…」。友人を通じて記念館に寄贈し、訪れる人に読んでもらうことにした。

 記念館の寺沢秀文専務理事(63)は、渡満の様子を伝える貴重な記録で、「大陸の花嫁の不安と希望の入り交じった若くみずみずしい感性が伝わる」と評価する。記念館は近く、原さんの詩や渡満ルートなどを地図に記し、希望者に配布したいという。

(3月15日)

長野県のニュース(3月15日)