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満州思い最後の法要 全県で編成「第5次黒台信濃村開拓団」

碑の前で手を合わせる黒台信濃村開拓団の元団員ら=20日、長野市碑の前で手を合わせる黒台信濃村開拓団の元団員ら=20日、長野市
 1936(昭和11)年に満州(現中国東北部)に入植した「第5次黒台信濃村開拓団」の元団員たちが20日、長野市で物故者の慰霊法要を開いた。法要は47年から開催。入植時の親世代から子どもの世代へと受け継がれ、70年にわたり続けてきたが元団員の高齢化に伴い今回で終える。満州の体験を直接知る人たちによる法要は全国的にもまれだったという。今後も、開拓団の苦しい体験を伝えることを模索する。

 午後3時、長野市の善光寺・雲上殿にある慰霊碑の前に、70代後半から80代半ばの13人が集まった。花を添えて焼香し、帰国できなかった家族の霊を慰めた。

 開拓団は、ソ連との国境に近い東安省密山県(現黒竜江省)に入植。長野県が県内全域から編成し、全国初の県単位の移民団とされる。八つの区に約350戸計約1600人が暮らした。現地の中国人から接収するなどした農地で家族営農をし、食糧増産を図る狙いが強められた。

 45年8月のソ連参戦と敗戦による逃避行で追い詰められた末の集団自決などで1千人超が死亡し、生存者は400人前後だったとされる。

 元団員たちの世話人代表、三井寛さん(82)=中野市=は2歳11カ月で両親と満州に渡り、国民学校5年まで過ごした。逃避行でソ連軍に捕まり、父豊吉さんを含め召集されずに残っていた男性59人が連行されるのを見送った。直後に銃殺されたとみられる。女子の同級生は集団自決で亡くし、仲が良かった知人家族は青酸カリで服毒自殺した。46年に母親と一緒に帰国した。

 慰霊法要は47年9月、長野市の善光寺で始めた。同窓会が発足し、72年には雲上殿近くに慰霊碑を建立。毎年途切れることなく続け、多い年には200人を超える元団員が集まった。

 だが、体の自由が利かなくなる仲間が増え、2014年の慰霊法要を機に同窓会は解散。15、16年の法要は、三井さんたち有志が引き継いだ。三井さんは「年を取ってからも励まし合い、戦争のつらさを確かめ合ってきた。どうにか続けてこられたことが救いだった」と話す。

 三井さん自身も体の衰えを感じてきており、有志による法要も困難に。「残念だが時代の流れ。やむを得ない」と話す。

 20日に集まったのは、県内各地と愛知県在住の元団員。黒台信濃村開拓団の歌を歌い、来られなかった仲間からの菓子も供えた。世話人副代表の岡田秀子さん(76)=下高井郡木島平村=は生まれたばかりの妹を敗戦翌月に栄養失調で亡くした。「ここは人生の中のいろいろなことがよみがえってくる場所」と話した。

 三井さんは法要を終え、過ちを二度と繰り返してはいけない、惨事を後世にしっかりと伝えていかなければならない―との思いを強くした。「来春の彼岸も1、2人でも自発的に来てほしい。家にいても各自で手を合わせたい」と願った。

(3月21日)

長野県のニュース(3月21日)