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伊那の「一夜の城」 改修の堀を確認、鉄砲攻撃に備えか

「一夜の城」東側で初確認された堀の跡=7日「一夜の城」東側で初確認された堀の跡=7日
 伊那市教委は7日、同市富県の城跡「一夜(いちや)の城(じょう)」で新たに堀の遺構が見つかり、敵襲に備えて幅を広げる改修が行われていたことも分かったと発表した。一夜の城は戦国時代、武田方の高遠城(伊那市高遠町)に攻め入ろうとした織田軍が陣を構えたと伝えられている。改修はこの時代に伝来した鉄砲での攻撃に対応するためとみられ、市教委は伝承通り織田軍の陣がこの場所にあったかどうかも含め、調査を進めたいとしている。

 市教委によると、1582(天正10)年、織田信長の子、信忠が総勢5万人の軍勢を率い、武田氏の勢力下にあった高遠城を攻め落とした。一夜の城は「一晩で築いた城」との言い伝えが名前の由来になっている。

 市教委は2012年、城の北、南、西側をそれぞれ発掘調査し、堀の跡を確認。急ごしらえで造る城には堀がないのが一般的といい、市教委は一夜の城は伝承と異なり短期間で築いた城ではなく、もともと地元の豪族が使っていた城館を織田軍が接収した―と推定した。城の南側では、V字形の堀の幅を広げたとみられる跡も確認していた。

 今回の調査は、12年に調べられなかった城の出入り口に当たる東側の約400平方メートルを対象に、3月初旬から実施。幅約8・5メートル、深さ約2・7メートルの堀を確認した。さらに底部にV字形の堀の底とみられるくぼみもあり、角度などから、当初の堀の幅はもっと狭く、南側の堀と同様、改修工事で幅を広げたと推定した。

 市教委の浜慎一学芸員は、当時の鉄砲の射程は今よりずっと短かったとし、「敵兵を少しでも遠ざけたいとの考えが反映されているのではないか」とみている。一般対象の現地説明会は予定していないが、8日から市創造館で調査結果の資料を配布する。

(4月8日)

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