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満蒙開拓団員、阿智で71年ぶり再会 兵庫の84歳と旧楢川村団員

鎮魂の碑の前で戦没者を供養する山下さん(手前左)と県内の元開拓団員ら=10日、阿智村鎮魂の碑の前で戦没者を供養する山下さん(手前左)と県内の元開拓団員ら=10日、阿智村
 満蒙(まんもう)開拓団員として旧満州(中国東北部)に渡った兵庫県豊岡市の山下幸雄さん(84)が10日、下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪れ、終戦後、現地の収容所で出会った旧木曽郡楢川村(現塩尻市)出身者らの「蘭花(らんか)楢川村開拓団」の元団員らと対面した。山下さんがいた大兵庫開拓団は集団自決を決行。家族を亡くした自分に生きる望みを与えてくれた団員に感謝の気持ちを―。その願いが71年ぶりに実現した。

 「やっと念願がかなった」。家族ら4人と阿智村を訪れた山下さんは目を潤ませて、蘭花開拓団の元団員らでつくる「楢川会」世話人の土川克広さん(89)=塩尻市=の手を握った。2人が会うのは初めてだが、土川さんも「そんな気がしない。弟に会えたようだ」と話した。

 1944(昭和19)年、山下さんは一家7人で兵庫県旧高橋村(現豊岡市)からハルビン近くの村に入植。日本が敗れると地元農民らの襲撃を受けた。集団自決で約440人のうち298人が死亡。当時12歳だった山下さんも三つ上の兄と背中合わせに縛られ、父に丘の上から川に落とされた。「天皇陛下万歳」と叫んで気を失った。目が覚めると兄は死んでいた。

 ハルビンの収容所でも、寒さや飢えで次々と人が死んだ。ソ連兵が夜な夜な女性を物色しに来るような環境下。そこで一緒になった蘭花開拓団の団員たちは、独りぼっちの山下さんに声を掛け、歌を教えてくれたりした。「何としても日本の土を踏もう」と、いつも励ましてくれた。

 帰国後、覚えていた「長野」「蘭花」の言葉を頼りに長野県庁に問い合わせたことがあるが、詳しいことが分からなかった。転機は昨年夏、記念館事務局長の三沢亜紀さん(50)が兵庫県で開かれた満蒙開拓の催しに出向き、たまたま山下さんに会ったこと。蘭花開拓団のことが分かり、「楢川会」世話人の土川さんにつながった。

 「大草さん、渡辺さん、小島さん」。山下さんは特に世話になった3人の姓も覚えていたが、既に亡くなっていると知った。「『楢川村』の言葉を聞いていたら3人と会えたかもしれない」。山下さんは言葉を詰まらせる。

 その一人の大草正光さんの姉、安西けい子さん(87)=千曲市=と妹の竹嶋けさ代さん(79)=松本市=もこの日、記念館を訪れた。竹嶋さんは楢川会の集まりに長く出ていなかったが、山下さんにどうしても会いたいと参加した。安西さんは「兄のことを覚えていてくれて、涙が出るほどうれしかった」と話した。

 記念館の鎮魂の碑前で行われた法要で、山下さんは思いを込めて読経をした。「これからは親戚のように付き合っていこう」。土川さんは今後の交流を楽しみにしている。

(5月11日)

長野県のニュース(5月11日)