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県歌「信濃の国」誕生前夜伝える1枚 松本で発見

写真の裏書によると中段右から2人目が依田、3人目が浅井。下段左端には矢沢が写っている写真の裏書によると中段右から2人目が依田、3人目が浅井。下段左端には矢沢が写っている
 県歌「信濃の国」の作詞者として知られる松本市出身の教育者浅井洌(1849〜1938年)が、県師範学校(現信州大教育学部)の教諭時代、同僚で「信濃の国」に最初に曲を付けた音楽教諭依田弁之助と並んで写った写真が、松本市の個人宅で見つかった。浅井が作詞する3年前の1896(明治29)年、同校卒業式に合わせて撮影したとみられる。現在歌い継がれている曲は依田の後任、北村季晴(1872〜1931年)が作った。県歌誕生前夜の浅井と依田の様子が分かる貴重な資料―と専門家は指摘している。

 写真は当時の卒業生丸山注連三郎(しめさぶろう)(1872〜1946年)の市内の旧宅に残されていた。現在、この家には孫の妻のみほ子さん(67)が住んでおり、地元の郷土史家が訪ねた際に見つけた。

 写真には校舎前に並ぶ卒業生と教員合わせて49人が写っている。裏側に「明治二十九年三月師範学校卒業」と書かれ、それぞれの名前が並び順に記されている。これによると、浅井と依田は着物姿。信濃教育会長兼校長の正木直太郎や、後の松本女子師範学校校長で博物学者の矢沢米三郎らの名前もある。

 信大教育学部は「師範学校時代の卒業写真を学部が保管しているかどうか把握していない。複数名の教員が写ったものもなかなかない。珍しい写真ではないか」とする。

 市文書館特別専門員で浅井らの業績に詳しい小松芳郎さん(67)は、信濃の国に依田が曲を付けた後、後任の北村がそれを知らずに付けた曲が現在県歌となっているいきさつが「とても運命的」と言う。写真について「よく残っていた。歴史が動いていく当時の様子を伝える貴重な資料」と指摘している。

 みほ子さんは「掘り起こしてもらいありがたい。生かしてもらえれば、おじいちゃん(注連三郎)が写真を遺してくれた思いも報われるのでは」と話している。

(6月3日)

長野県のニュース(6月3日)