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諏訪大社下社秋宮・神楽殿の図面か 下諏訪

諏訪大社下社秋宮神楽殿の「下図」とみられる図面の写し諏訪大社下社秋宮神楽殿の「下図」とみられる図面の写し
 1835(天保6)年に諏訪大社下社秋宮(諏訪郡下諏訪町)の境内に完成した神楽殿(重要文化財)の建築当時のものとみられる完成予想図(下図)1枚が25日までに、下諏訪町内で見つかった。江戸時代に諏訪地方を中心に栄えた宮大工の流派「立川流」の関係者でつくる調査委員会が明らかにした。これまで、神楽殿の図面は確認されていないという。

 神楽殿の正面を描いた図で、町内にある下社の宮付大工(みやつきだいく)だった「三井家」の関係者宅で2014年に見つかった。彫刻家で立川流6代目棟梁(とうりょう)「立川芳郎尚富(なおとみ)」の間瀬芳郎さん(66)=愛知県半田市=が調査を依頼され、立川本家の子孫らでつくる立川流棟梁家保存会メンバーや建築家らと調査委を設けて調べた。

 神楽殿は、立川流2代目の立川和四郎富昌(わしろうとみまさ)(1782〜1856年)が手掛けた。調査委は、富昌らによる豊川稲荷(愛知県豊川市)の本殿図や、初代・富棟(とみむね)(1744〜1807年)による白髭神社(下伊那郡高森町)の図面などと比較。描かれている彫刻の特徴などから、見つかった図面は富昌の時代の立川流によるものと考えるのが妥当と結論付けた。

 委員長の建築家成田完二さん(62)=半田市=は、図面と神楽殿の外観がほぼ一致し、実際の20分の1の寸法で描かれていることから、「神楽殿の下図とみられる」と指摘。「蟇股(かえるまた)」と呼ぶ部材が実際とは異なる位置にあるなど、細かい違いもあるが、「宮付大工だった三井家への事前説明に使った完成予想図のようなものだったのではないか」としている。

(6月26日)

長野県のニュース(6月26日)