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思いがけない病気が、人生の転機につながることがある。生き方を見つめ直し、ものの見方が変わることもあろう。多くのヒット曲を生み、新人歌手を育てた平尾昌晃さんも、岡谷市の旧塩嶺病院での1年近い闘病が人生の糧になった

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湘南で伸び伸びと育った高校生はジャズに興味を持ち、米軍キャンプを回り始める。やがてロカビリーブームでアイドルになり、自作の「ミヨちゃん」が大ヒットするまでになった。肺結核で入院したのは歌手から作曲家に転向したばかりの1968年

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順風に見えた30歳で、「要療養3〜4年」の診断を受ける。死を身近に感じ、夜はもっぱら宗教書などを読んで「生きるとは」と真剣に考えた。肋骨(ろっこつ)6本を取る2回の手術で見る見る回復。創作意欲が高まり、曲想が浮かんだ。病室の天井の節が音符に見えることもあったという

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芝生でギターを弾くと、入院患者が輪になって聴いてくれた。病院のスタッフは家族のように接し、漬物などを差し入れてくれた。待ちに待った初冬の退院は病院じゅうで見送った。涙がとめどなく流れて「ありがとうございます」としか言えなかった(自著「気まま人生 歌の旅」)

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信州は第二の故郷となり、「瀬戸の花嫁」など地方を舞台にした曲に幅を広げる転機にもなったという。晩年は酸素吸入器を使いつつ施設慰問を続け「生涯現役、生涯青春」を貫いた。岡谷で触れた人の情けの温かさが、福祉活動に力を注いだ原点だった。

(7月25日)

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