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飯伊の「松根油」 次代に語り継ぐ 戦時の工場35カ所確認

野底山森林公園の松に残る松やにを採取した跡を指し示す寺岡さん(左)野底山森林公園の松に残る松やにを採取した跡を指し示す寺岡さん(左)
 太平洋戦争末期に航空機などの燃料不足を補うために製造された松の根を原料とする「松根油(しょうこんゆ)」の工場が、飯田下伊那地方の少なくとも35カ所にあったことが、伊那谷自然友の会の寺岡義治さん(81)=飯田市上郷黒田=の調査で分かった。国策として全国に多くの製造工場が造られたが、同地方での全体像が明らかになるのは初めてという。

 26日、上田市の環境市民団体「ヤマンバの会」の会員ら6人が寺岡さんを訪ね、調査結果を聞いた。同会は松根油や、同じ使用目的で採取された松やにに関する調査を同市で10年以上続けている。寺岡さんと情報交換し、飯田下伊那地方の状況を知ろうと、松やに採取の跡を見られる木が多く残る飯田市の野底山(のそこやま)森林公園を訪れた。

 松根油は松の根を細かく切り、鉄製の釜で熱して採る油。寺岡さんによると、飯田下伊那地方には、飯田市や下伊那郡の広い範囲で松根油の製造工場があった。天龍村では、連合国軍の捕虜収容所近くに工場があり、若い兵士らが製造に従事していたとの証言を得た。阿智村の小学校の当時の文集には、児童が松の根の調達に関わった記述が残っていた。泰阜村の民家では製造に使われた鉄製の釜を発見した。

 寺岡さんは飯田市の元林務課職員。山林の仕事に関わる中で松根油が採取されていたことは知っていたが、「次世代に語り継ぐのに中途半端では駄目だ」と考え、2年ほど前に本格的な調査を開始。戦時中の様子を知るお年寄りの家を訪ね歩き、工場の場所や稼働の様子を聞いた。

 寺岡さんによると、飯田市では、国が国民に松根油の製造を促す要綱を出した1944(昭和19)年の4年ほど前に民間の「下伊那樹脂研究所」が稼働していた。日本の敗戦色が濃くなると軍の管理下に置かれたという。

 ヤマンバの会事務局長の村山隆さん(70)=上田市下之郷=は、寺岡さんの調査について「工場の場所を克明に調べ上げてある。国の指令前に民間の研究所があったことも興味深い」と話していた。

(7月27日)

長野県のニュース(7月27日)