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長野出身の戦没者遺族、笑顔の遺影で善光寺詣で

志津江さんの遺影を持って善光寺境内を歩く正之さん(左)と日出夫さん=30日午後2時57分、長野市志津江さんの遺影を持って善光寺境内を歩く正之さん(左)と日出夫さん=30日午後2時57分、長野市
 長野市出身で6月9日に109歳で亡くなった池端(旧姓野村)志津江さん(さいたま市)の遺族が30日、長野市の善光寺を訪れた。志津江さんは2009年8月の全国戦没者追悼式に過去最高齢の101歳で参列。夫を失った戦争については多くを語らなかったが、子どもの頃によく訪れた善光寺は「平和そのもの」だったと三男正之さん(77)=埼玉県坂戸市。本堂で経を上げてもらい、平和の大切さに思いをはせた。

 「お母さん、帰ってきたよ」。志津江さんの次男日出夫さん(79)夫妻=愛知県安城市=と、正之さん夫妻が善光寺の境内に来た。亡くなる前日に撮った笑顔の遺影を持参。「もう一度、善光寺に行きたい」。亡くなる直前まで口癖のように言っていたという。

 志津江さんは長野市居町の瓦店で生まれ、20代後半まで信州で過ごした。兄を頼って訪れた和歌山県で夫の正雄さんと知り合い、結婚。現在のさいたま市に居を構えた。正雄さんは召集後の1944年12月、台湾南方のバシー海峡で乗っていた船が魚雷を受けて37歳で戦死した。

 志津江さんは戦後、染め物工場で働いて3人の息子を育てた。戦争中のことを聞いても話したがらず、テレビで戦争関連の番組が流れるとチャンネルを変えた。「泳ぎが上手だったお父さんが海で死ぬわけがない」「いつか帰ってくる」。遺骨は見つからず夫の死を受け入れられない様子だったという。

 09年、初めて全国戦没者追悼式に参列。会場の日本武道館で「みんなが平和に健康に暮らせることを願っています」と話した。

 「いつも遊びに行っていた」「日本中の人が集まって、にぎやかだった」。善光寺の思い出を語る時は楽しげだった。最後に訪れたのは100歳の時。家族で参拝し、かつてよく買い物をしたという権堂町の商店街に立ち寄った。正之さんは「(長野にいた頃が)母にとって穏やかな日々だったのだろう」と話した。

 くも膜下出血で倒れる直前まで元気だったといい、日出夫さんは「本当に安らかな最期だった」。枕元には、2015年の善光寺御開帳で家族が手に入れ、志津江さんに贈った回向柱(えこうばしら)のお守りが置いてあったという。

(7月31日)

長野県のニュース(7月31日)