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被爆2世 つなぐ核廃絶 県内団体 新たな動き

核兵器廃絶を求める国際署名用紙を手にする細田伸子さん=飯田市北方核兵器廃絶を求める国際署名用紙を手にする細田伸子さん=飯田市北方
 県原爆被害者の会「長友会」で、核廃絶運動を継承していこうと「被爆2世」が活動を支えだしている。被爆者の高齢化が進んでいるが、歴史的な「核兵器禁止条約」が国連で採択されたことを追い風に、親世代の願いを前進させていこうとしている。

 署名に協力をお願いします―。広島、長崎への原爆投下から72年の今年、飯田市の細田伸子さん(63)は、被爆者団体が取り組む「国際署名」の記入用紙を携えて地域を回る。「ヒバクシャが生きているうちに核兵器のない世界を」。そう訴える署名を集めだしたきっかけは、被爆者の父昭夫さん=当時(88)=が昨春に死去したことだった。

 被爆は親子間で長く「禁句」だった。子ども時代、風呂で父の背に傷痕を見た。爆風でガラス片が刺さったと祖母から聞いた。約20年前、父に体験を聞きたいと頼んだが「つらくて嫌だ」と言われた。

 10年ほど前、昭夫さんは市内の中学校から平和学習の講師を頼まれた。昭夫さんは1人で学校に出向こうとしたが、伸子さんは「車で送る」と譲らなかった。父の話を聞く機会を逃したくなかった。

 家族にも自身の体験を語らなかった昭夫さんだが、年齢を重ね、被爆を伝え続ける長友会の仲間に影響を受けていた。語らないままでいいのか―と自問していた様子だった。この日、生徒を前に語りだした。

 飯田市の酒店に生まれた昭夫さんは進学に伴い8月4日に広島に転居。2日後、爆心地から約2キロの建物内で被爆した。地面に転がる黒焦げの遺体、皮膚が焼けただれた人々の行進…。脳裏に惨状がよみがえり、言葉に詰まりながら話した。最後に「戦争だけはしないでください」と呼び掛けた。生徒と一緒に聞いた伸子さんは「もっと早く聞きたかった」。父の苦しみに初めて触れた気がした。

 昭夫さんに影響を与えたのは、長友会会長を務めた前座良明さん(2009年に88歳で死去)だ。広島で被爆後、松本市に移住。各地で被爆体験を証言しながら核廃絶運動に身をささげた。ただ、息子の明司さん(69)=松本市=もまた、父から体験を詳しく聞くことはなかった。

 良明さんは生前に「子孫には二度と戦争の苦しみを味わわせたくない」と訴えたが、原爆の恐ろしさを訴える運動に子どもを関わらせなかった。「苦しめることになる。実際に被爆させたみたいに、渦中に巻き込んでしまう…」。そう話していたと父の死後に明司さんは知った。

 県内で被爆者健康手帳を持つ人は今年3月で117人。10年前より76人減った。長友会では昨年、副会長だった細田さんら役員の物故者が増えた。

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、全国では会員の高齢化などで活動を停止した被爆者団体もある。一方、広島や長崎、東京などは2世の組織があり、2世会員は少しずつ増えているという。昨年、2世へのアンケートを開始。被団協事務局は「2世の思いを把握しながら今後につなげたい」とする。

 父の死後、長友会を通じて核廃絶を訴える国際署名を知り、伸子さんは心を揺さぶられた。昨秋、「父の子として何かしたい」と入会。戦後生まれの2世で初めて入会していた明司さんは今年、副会長に就いた。「被爆2世の先頭に立ち活動したい」と語る。

 7月、ニューヨークの国連で核兵器禁止条約が採択された。伸子さんは、被爆者の願いが形になり、「あと少し父を生きさせてあげたかった」と話す。父の思いを次につなげたい―と集めた署名は6月に長友会に提出されており、世界各地の署名と一緒に国連に届けられることになっている。

(8月3日)

長野県のニュース(8月3日)