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あすへのとびら 広島原爆の日に 幅広く担い手を育てたい

 広島はきょう「原爆の日」を迎えた。9日は長崎である。

 米軍による原爆投下から72年。被爆者らが求め続けてきた核兵器禁止条約が7月上旬、国連で採択された。

 条約を弾みに核廃絶の道筋を付けたい―。この夏はこんな決意を新たにする人が多いのではないか。

 核兵器の製造や保有、使用などを全面的に禁止する史上初の国際法である。国連加盟国の6割を超える122カ国が賛同し、「核兵器なき世界」を願う国際世論の強さを示した。

   <核禁止条約の重み>

 広島、長崎の両式典で読み上げられる平和宣言はともに禁止条約の意義に触れる。長崎の田上富久市長は、条約に反対した日本政府に参加を求める見通しだ。

 条約の採択にようやくこぎ着けたのは、日本の被爆者が国際社会に向かって核惨禍の実態を訴え続けたことが大きい。

 日本全国で被爆者健康手帳を持つ人は2016年度末で16万4621人。10年前より約8万7千人も減った。平均年齢は82歳に近づいている。

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、会員の高齢化で活動を停止したり、解散したりする地方組織が出ている。

 先細りが懸念される中、被爆2世の動きが目立ってきた。2世だけの組織も幾つかあり、活動の継承が進んでいる。

 長野県内では被団協が結成された1956年、広島や長崎などとともに、いち早く県原爆被害者の会(長友会)ができた。

 中心となったのは、広島で被爆した後、松本市に移り住んだ前座良明さんだ。2009年に亡くなるまで、原爆症による体調不良に悩まされながらも熱心に被爆者支援に取り組んだり、被爆体験を語り続けたりしてきた。

 長男の明司さん(69)は父の生前、被爆時の生々しい話を聞くことはほとんどなかった。が、良明さんの死が背中を押した。直後に長友会の会員になり、今年から副会長を務める。

 明司さんは名刺に「被爆2世」と明記した。「自分の世代が核廃絶の先頭に立っていくという気持ちを示したかった」と話す。2世や3世だけでなく、市民や若者とどう連携し、活動の幅を広げていけるかが、課題と考える。

 指針はある。父が生前よく語っていた「今日の聞き手は明日の語り手」という言葉だ。原爆や被爆の話を聞いた人は、感じたことを自分の周囲の人に話してほしいとの思いが込められている。

 松本大学4年生の宮阪絢子さん(23)は、松本市が平和事業の一環で昨年4月に立ち上げた大学生の組織「松本ユース平和ネットワーク」に参加している。11月に初めて長崎を訪れた。市内に残る原爆の傷痕を見て、被爆当時の話を聞いて衝撃を受けた。

 「知識でしかなかった被爆が、初めて自分の身の回りで起きたことのように思えた」

 ネットワークのメンバーは、市内の中学校などに出向き、原爆に関する出前授業も行っている。中学生は年齢が近いこともあり、熱心に耳を傾けた。被爆者でなくとも語り手になれることを示した事例といえるだろう。

 被団協などは昨春から核廃絶を求める国際署名を始めた。県内は知事をはじめ、77市町村長が署名した。全ての首長が署名したのは全国でも異例である。

 署名の推進団体には作家の窪島誠一郎さんや戦争体験を歌う活動をしているシンガーソングライター清水まなぶさんも名を連ねる。長友会のほか、政党や労組の路線対立で分裂して原水爆禁止世界大会を開いている原水協と原水禁の県組織も加わり、柔軟な体制で取り組んでいる。

 禁止条約は発効の見通しが付いたけれど、現実は厳しい。米ロ英仏中の核保有五大国に加え、米の「核の傘」に依存する日本などは条約に背を向ける。北朝鮮は核・ミサイル開発にまい進し、不安をまき散らしている。

 核拡散防止条約(NPT)で核保有五大国には核軍縮が義務付けられているのに、本気で取り組む気配もない。逆に核抑止力を重視する姿勢を強めている。被爆者らの思いは複雑だ。

   <市民の力は大きい>

 原水爆禁止世界大会が広島で初めて開かれたのは1955年だった。米国の水爆実験による第五福竜丸事件を機に東京・杉並の主婦らが始めた署名運動が幅広い共感や賛同を集め、大会に結実したことはよく知られる。

 禁止条約を機能させるには、保有国に圧力をかける世界的なネットワークを築く必要がある。長野県をはじめ、日本の市民がその担い手になれないだろうか。その力があるはずだ。

(8月6日)

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