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終戦から4日後、満州の「大日向村」で産んだ女の子に、大林ツマ子さんは「二葉」と名付けた。運よく成長したら、この子が二葉(幼少)の時のことは終生忘れないだろうから―と。丸々と太って逃避行の列車内でもよく眠っていた

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1945(昭和20)年9月、旧ソ連軍に退去を命じられた大日向開拓団が開拓地を離れる時の様子だ。ツマ子さんが戦後残した手記に書いている。たどり着いた新京(現長春)での難民生活は悲惨を極めた。栄養失調、発疹チフスの流行、そして寒さ…

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敗戦直前におよそ800人いた団員の半数近くが亡くなっている。ツマ子さんも長男と二葉さんら女の子3人を失った。開拓団は38年、「分村移民」の先駆けとして旧大日向村(現佐久穂町大日向)から満州に渡った。宣伝の映画まで作り移民熱をあおった国策による犠牲である

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ツマ子さんと夫の作三さんは開拓団の記録「終戦の記」をつづった。ツマ子さんは56歳で亡くなるが、4年前に終戦の記と手記が見つかり県立歴史館が保存している。「体験を伝えなくては生きている意味がないと常々言っていた」と三男博美さん(68)

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開拓団の65戸165人は47年、軽井沢町の浅間山麓に入植して原野を切り開く。きのう天皇、皇后両陛下が散策されたレタス畑はその開拓地だ。両陛下はたびたび訪れ、元開拓団員と懇談。苦難に心を寄せている。思いは「伝えなくては」というツマ子さんらの使命感と重なるのではないか。

(8月24日)

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