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羽田孜元首相が死去 非自民連立を主導 82歳

第80代首相に指名され、同僚議員らに拍手で祝福される羽田孜氏=1994年4月25日第80代首相に指名され、同僚議員らに拍手で祝福される羽田孜氏=1994年4月25日
 1993年の非自民連立政権樹立に主導的な役割を果たし、94年に県選出国会議員として初めて首相を務めた羽田孜(はた・つとむ)氏が28日午前7時6分、老衰のため東京都世田谷区の自宅で死去した。82歳。衆院旧長野2区、小選挙区の長野3区から当選14回。葬儀・告別式は9月8日午後1時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻綏子(やすこ)さん。

 93年6月、野党提出の宮沢喜一内閣不信任決議案に賛成し、小沢一郎氏(現・自由党共同代表)らと自民党を離党して新生党を結成。党首として臨んだ総選挙で躍進し、細川護熙氏を首班とする連立政権発足の原動力となった。細川氏の退陣を受け、94年4月、51人目の第80代首相に就任したが、社会党(現社民党)の政権離脱で少数与党となり、6月に内閣は総辞職。在任期間は64日で、戦後2番目の短命となった。

 退陣後、新進党副党首、太陽党党首、民政党代表を経て98年結成の民主党(現民進党)の初代幹事長に就任。政権交代可能な二大政党制の必要性を訴え、同党をけん引した。2008年には脳血栓の痕が見つかったが、リハビリしながら政治活動を続けた。最後の選挙となった09年衆院選で民主党は圧勝し、再び政権交代を実現。12年衆院選に出馬せず、政界を引退した。

 都内で生まれ、上田市内で小中学校時代を過ごした。成城大経済学部卒業後、小田急バス(東京)に入社。父の故・武嗣郎氏の後継として69(昭和44)年12月、旧衆院2区から自民党公認で初当選し、後援会「千曲会」の強固な基盤を背景に当選を重ねた。

 85年12月、中曽根康弘内閣の農相として初入閣。その後も大蔵相(現財務相)、外相の主要閣僚を歴任し、竹下派「七奉行」の一員として首相候補と目されるようになった。

 金丸信氏が逮捕された東京佐川急便事件などを機に政治改革を求める声が強まる中、中選挙区制が派閥政治、政治腐敗の元凶と主張し、党選挙制度調査会長として小選挙区制への移行を主張。96年衆院選で初めて小選挙区比例代表並立制が導入された。

 スーツの上着を半袖に仕立てた「省エネルック」でも知られた。政界引退後は都内の自宅で療養。今月24日に身内や秘書らが集まり、82歳の誕生日を祝ったばかりだった。

(8月28日)

長野県のニュース(8月28日)