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虐殺追悼文 疑問多い都知事の判断

 東京都の問題ではあるけれど、見過ごすわけにいかない。

 小池百合子知事がきょう1日に市民団体主催で開く関東大震災の朝鮮人虐殺犠牲者追悼式への追悼文送付を取りやめた。

 少なくとも石原慎太郎知事の時代から追悼文を送ってきた。なぜやめるのか、説明を聞いてもよく分からない。

 都知事は日本を代表する顔の一つである。3年後の東京五輪では世界から選手や観客を迎える立場にある。過去の歴史に目をふさいでいると見なされるようでは日本の名誉に傷が付く。

 送付をやめる理由を記者会見で問われると知事は、東京大空襲があった3月と震災の9月の2回、「戦災遭難者慰霊大法要」で追悼の気持ちを表明していると述べて「それに尽きます」。

 災害と虐殺では状況は違うのではないかとの質問には、「いずれにしても、不幸な死を遂げられた方に対しての慰霊をする気持ちには変わりません」。

 虐殺は震災を生き延びた人に対し自警団や住民により行われた。災害死とは違う。ひとくくりに「不幸な死」とする知事の発言には無理がある。

 伏線がある。3月の都議会で都議の一人が、追悼式会場の慰霊碑に犠牲者数が6千余名と刻まれていることに疑問を呈し、「今後は追悼文発信を再考すべきだ」と指摘した。知事は「毎年慣例的に送付してきた。今後は私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁していた。

 国の防災会議の資料では、虐殺された朝鮮人らは震災全体の死者10万5千人余のうち「1〜数%」とされていた。6千余名はとっぴな数字ではない。

 大事なのは罪のない人びとが殺された事実を直視し、反省を次代に伝えることだ。数字の正確さを問うことではない。

 小池知事名の昨年の追悼文にはこう記されていた。

 「極度の混乱の中、多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見るまことに痛ましい出来事でした」

 素直に胸に落ちる。なぜ送付をやめるのか分からない。

 地震など非常時には心の奥深くに潜むゆがんだ意識が表に出てくるのかもしれない。今でも、外国人が井戸に毒を投げ込むといったうわさが流れたりする。間違いを繰り返さないためにも、過去を見詰め続けなければならない。

(9月1日)

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