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ベートーベンは1802年10月、ウィーン郊外の地ハイリゲンシュタットで「遺書」を書いた。30歳を前に始まった聴覚の異常は音楽家を絶望の淵に追い込んだ。人々の集まりに近づくと病状を知られるかもしれないと不安に襲われる

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孤独と苦悩にさいなまれ自ら命を絶つことも考えたと記す。ここから後半は転調する。〈私を引き留めたものは「芸術」だ。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならない〉。命の限り音楽に身をささげるとの宣言でもある

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事実、作曲活動はこの前後が画期となった。モーツァルトら先人の影響から脱し独自の世界を切り開いていく。「ピアノ協奏曲第3番ハ短調」は数年前から構想を練っていた。革新性にあふれスケールが大きな曲に仕上がった。1803年4月の初演では、自らピアノを独奏した

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その曲をグラミー賞受賞者2人の協演で聴く機会に恵まれた。松本市で開かれた「セイジ・オザワ松本フェスティバル」である。内田光子さんのピアノと小澤征爾さんが指揮するサイトウ・キネン・オーケストラの圧巻の演奏に拍手が鳴りやまなかった

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交響曲第5番「運命」に通じる「暗黒からの勝利」がテーマの終楽章。〈願わくば耐えようとする私の決意が永くもちこたえてくれればいい。厳しい運命の女神らがついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶ瞬間まで〉。そう書いたベートーベンの気概が乗り移ったかのフィナーレだった。

(9月13日)

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