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あすへのとびら 水俣からの問い 「過去のこと」にさせない

 介助なしでは歩けなくなり、言葉も出づらくなった。それでも、行って自分の口で話したいことがある―。

 「お母さんのおなかの中で水俣病になりました。これが最後だと思って来ました」

 スイスで29日まで開かれた「水銀に関する水俣条約」の第1回締約国会議。坂本しのぶさんは総会や公式行事で、言葉を絞り出すように訴えた。

 「水俣病は終わっていません。たくさんの人が闘っています」

 水俣病が公式確認された1956年に生まれ、ずっと病気と向き合って生きてきた。原因企業チッソの加害責任を認める判決を勝ち取った第1次訴訟には、12歳で原告として加わった。

 還暦を過ぎた今も、根本的な解決は遠い。被害者が補償や救済を求め、いくつもの裁判が続いている。その現実が坂本さんの背を押し、スイスに向かわせた。

   <脱水銀 進める責任>

 2013年に採択された水俣条約は、50カ国が締結した今年8月に発効した。水銀による環境汚染と健康被害を防ぐため、採掘、使用、輸出入など全ての段階で国際的な規制の枠組みを定める。

 条約名は日本政府が提案した。前文には「水俣病の教訓」の文言が明記されている。水銀の規制を具体的にどう前に進めていくか。政府が負った責任は重い。

 かつてに比べ大きく減ったとはいえ、国内でもまだ水銀は使われている。また、回収された水銀の多くが輸出されてきた。汚染被害につながらないよう、厳しい禁輸措置を取るべきだ。

 東南アジアや中南米などの途上国では小規模な金採掘現場で水銀が使われ、その仕事で生計を立てざるを得ない人たちがいる。背景にある貧困に目を向け、被害防止の取り組みを強めたい。

 そして何より、条約を主導する国として問い直さなければならないのが、水俣病の被害に向き合う姿勢である。坂本さんの訴えは日本政府に突きつけられている。

 被害の全容は分かっていない。患者認定の条件は厳しく、被害者の大多数が取り残されたままだ。10万人を超すともいわれる被害者に対し、患者と認定された人は2300人に満たない。

 認定されない人の救済策も、実態にそぐわない線引きで対象者を限ってきた。一貫して見て取れるのは、被害を限定して捉え、外れる人を切り捨てるかの姿勢だ。

 水俣病は、原因不明とされた当初から化学工場の排水が疑われ、熊本大の研究班は早い段階で、排水に含まれる有機水銀が原因と指摘していた。チッソはそれを否定して排水を海に流し続け、規制しなかった行政も加担した。

 産業経済を支える企業活動の存続を優先したことが対策を遅らせたのは明らかだ。その間に不知火海の沿岸全域に被害は広がった。新潟で第2の水俣病が起きるのを防ぐこともできなかった。

   <個の尊厳をかけて>

 「負の教訓」が積み重なって戦後最大の公害は引き起こされ、現在に至る深刻な被害がある。行政と加害企業は重大な責任を直視しなければならない。

 今、政府がすべきことの第1は、不知火海沿岸一帯での広範な健康調査だ。被害の全体像の把握は、補償、救済に不可欠である。患者・被害者団体の度重なる要請を拒むかたくなな態度が、解決の道筋を見えなくしている。

 チッソの企業城下町で起きた水俣病は、地域を分断し、根深い差別意識を生んでもきた。そのために声を上げられない被害者はなお多い。調査によって、埋もれている被害を掘り起こしたい。

 患者の認定基準も改めるべきだ。13年の最高裁判決は、複数の症状の組み合わせが必要とする現行基準の根拠を否定し、硬直的な運用で被害を矮小(わいしょう)化してきた行政の姿勢を批判した。

 一方で、患者への補償とは切り離し、低額の一時金などを払う政治救済策で決着を図ったことが、問題を一層複雑にしてきた。公正な認定基準を定め、全ての被害者を対象に包括的な補償の仕組みを作り直す必要がある。

 水銀による環境汚染を将来にわたって防ぐ施策も欠かせない。水俣湾にある水銀汚泥の埋め立て地は、海を仕切った鋼板の腐食が進んでいる。一時しのぎでない対策を取るべきだ。

 行政は「あたり前のこと」をしてこなかった―。水俣病の研究に生涯取り組んだ医師の故原田正純さんは著書に記している。被害者は、やむにやまれず立ち上がり、道を開いてきた。

 坂本さんの訴えからは、個の尊厳をかけた強い意志が伝わってくる。水俣病を「過去のこと」にさせるわけにいかない。声を上げる人たちの側に立って、政府に厳しい目を向けていきたい。

(10月1日)

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