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下諏訪の温度計、浮かぶ製糸業 諏訪東京理科大学長調査

本陣岩波家に残る温度計の資料を見る河村学長本陣岩波家に残る温度計の資料を見る河村学長 温度計の目盛りに記された「火加減」の文字温度計の目盛りに記された「火加減」の文字
 中山道下諏訪宿の本陣だった「本陣岩波家」(長野県諏訪郡下諏訪町)に残る古い温度計を、諏訪東京理科大(茅野市)の河村洋学長(熱工学)が調べ、製糸の工程で繭を煮る「煮繭(しゃけん)」の際の湯温測定に使われたのではないかとの結論に至った。河村学長によると、日本の温度計は蚕を飼育する蚕室の温度管理に使った「蚕当計(さんとうけい)」から発展した。岩波家の温度計は目盛りなどから蚕当計ではなく、「特注品ではないか」と話している。

 温度計は長さ約50センチのガラス製で木枠に収められ、本陣奥座敷の柱に掛かっている。昨年9月、河村学長が本陣岩波家を訪れた際に温度計を目にし、用途を調べ始めた。現在も機能すると確認した。

 水銀の熱膨張を利用しており、「十」「二百」などの目盛りがある。日本で使われているセ氏ではなく、カ氏表示で、上限はセ氏100度に相当する「二百十二」。セ氏53度に当たる部分には「おおよその火加減」を意味する「〓火加減」と刻まれている。

 岡谷市立岡谷蚕糸博物館などによると、繭を湯に浸し始める温度はセ氏50〜60度。岩波家は製糸で財を築いた片倉家と親戚関係にあり、明治期に本陣で蚕糸関連の作業を行っていた。河村学長は、温度計は木枠から取り外せる構造でもあり、湯温の測定に使ったと判断した。

 岩波家の現当主で、観光施設「SUWAガラスの里」(諏訪市)の岩波尚宏社長は「子どもの頃から見ているが、特に気にしていなかった」とする。

 蚕当計は、1840(天保11)年頃に福島県梁川町(現伊達市)で考案された。江戸時代後期や明治期には、一般にカ氏で温度が表記されていたという。宮坂製糸所(岡谷市)の宮坂照彦社長は、煮繭の際の湯温は厳密には測らないとし、「研究のように特別な目的や事情がある場合に湯温を測った可能性がある」としている。

 岩波家の温度計が作られた時期ははっきりしないが、河村学長は江戸時代末期や明治時代は水銀を使った温度計は貴重だったと説明。「日本では蚕糸業があったからこそ、熱を測る科学は発達した」と話している。

(〓は、「兄」の「口」が「ノ」)

(11月25日)

長野県のニュース(11月25日)