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あすへのとびら 臓器移植法20年 家族に寄り添ってきたか

 心臓は動いている。体は温かく、顔や唇は赤みがかっている。

 脳死となった患者の状態である。呼吸器を外せば息はできない。治療を続けても、やがて心臓停止を迎える。

 1997年の臓器移植法施行で、脳死患者の臓器をほかの患者に移植できるようになった。当初は本人の書面承諾と家族の承諾が必要だった。7年前の法改正で本人意思が不明でも家族の承諾で可能になり、15歳未満からの提供も認められた。

 法施行から20年。提供数は医療関係者らの期待に届いていない。医療や社会は患者家族に寄り添ってきたのか。問い直したい。

   <選択肢の提示少なく>

 人口100万人当たり年間0・7人―。心臓停止からの移植を含めた国内の臓器提供者数である。

 多いと感じるか少ないと感じるか、人によって異なるだろう。文化や価値観、制度の違いがあって単純に比較できないものの、脳死からの移植が多い米国の28人、韓国の10人より大幅に少ない。国内の脳死患者からの提供数は20年間の合計で約490例にすぎない。

 国内で移植を待つ登録者は約1万4千人いる。移植を受けられずに亡くなる患者は少なくない。

 特に子どもの場合は深刻だ。15歳未満の脳死からの提供数は計15例にとどまる。提供を待ちきれず、数億円の寄付金を募って海外渡航するケースも目立つ。

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)で臓器などを作る再生医療の研究も進んではいる。それでも当面は、臓器移植のみが生きる希望になっている患者が数多く存在する。移植治療への期待は大きい。

 提供数が増えない理由はどこにあるのか。

 日本学術会議移植・再生医療分科会は10月、課題と対策をまとめている。現在の最大の問題点は、臓器提供の候補者が出ても、家族に臓器提供の選択肢が示されていないことだと指摘した。

 2年前の共同通信の全国調査もそれを裏付ける。子どもの臓器提供をテーマに全国236病院を対象に実施した。医師らが提供を検討しながら見送った59例中、28例で選択肢を提示していなかった。

 背景は根深い。

 まず体制面の問題だ。厚生労働省の調査では、臓器提供ができるとされる全国の約900施設のうち、人的、物的な準備が整っているとされるのは半数以下だ。小児に対応できる施設はさらに少ない。準備がなければ、選択肢の提示はためらわざるを得ない。

 そして医療スタッフの意識である。共同通信の調査では「臓器提供の説明をすると(臓器をほしがっていると思われて)家族との関係を壊す」「提供は困難と思い込んでいる」などの回答があった。

 家族の心情を察するあまり、情報を提供しない。それは家族に寄り添っているといえるのか。

 県臓器移植コーディネーターの片岡秀樹さんは「死が近い状態の終末期医療では、家族の希望を実現する手伝いをさせてもらうという意識が重要」と訴える。

 今年4月に埼玉県内の病院で臓器提供をした患者の家族は「どこかで誰かの未来のために役立ち、共に生きていけることを誇りに思う」と話したという。

 臓器移植をするかどうか決めるのは、あくまで家族である。選択肢の提示は家族に考える機会を与えることを忘れてはならない。

   <患者の「死」を決める>

 医療スタッフの意識改革がまず必要だ。それでも改善しなければ、告知や報告を義務付ける制度の新設も検討してもいいだろう。体制面を充実させる資金面の支援充実や人的な広域協力などの仕組みも考えたい。

 そのうえで論議しなければならないのは、家族の負担の重さだ。

 現在の臓器移植法では、家族が臓器移植を了承した場合のみ法的脳死判定が実施される。基準に合致した場合に正式に脳死となり、法的に「死」となる。

 つまり家族が臓器移植を了承しない限り、脳死状態であっても患者は「死」とならず、法的には生き続ける。家族が臓器移植を了承することは、患者の「死」の時期を決めることに等しい。

 日本移植支援協会の高橋和子理事長は「家族にとってこんなに苦しい選択はない」と指摘する。

 脳死が法的に「死」とされる米国では、脳死状態となれば判定が実施される。基準に合えば家族に臓器提供の意思を尋ね、提供しなければ医療器具が取り外される。

 体が温かく、心臓が動いている患者を一律に「死」と判断することは、心臓停止などを「死」とする文化が根付く日本では、簡単には受け入れられまい。

 だからといって現状のまま放置しては家族に負担がかかり続ける。移植治療は進展しない。社会全体で解決策を模索したい。

(12月3日)

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