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作家吉行淳之介は、東京にいた昭和19年の大みそかの記憶がなく、書庫の本を頼りに調べた。戦争末期とはいえさすがに米軍も休みだろうと予想したが昼近くに空襲警報のサイレンが鳴り、年越しの直前にも鳴っていた

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当時は空襲は日常的なことになってしまい、記憶から脱落しているのだろう―。随筆「大晦日(おおみそか)」でそう振り返っている。吉行がひもといたのは大屋典一(すけかつ)(後の一色次郎)の戦時下ドキュメンタリー「東京空襲」である。年末年始は1月2日を除いて空襲が続いたことが記録されている◆大屋はサイレンで防空壕(ごう)に飛び込み、新年を迎えた。逃げる途中、半鐘の「冷たい音」が星空から降ってきた。青い月の光が差し込む壕の中で女性たちが「おめでとう」と言葉を交わしたというが、これほど緊張を強いられた年越しはなかったろう

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補聴器メーカーが今年の「心に残った音」をネットでアンケートし、千人が回答した。1位になったのは、北朝鮮のミサイル発射による「Jアラート(全国瞬時警報システム)のサイレン」。戦後世代には初めて聞く不気味な音、高齢者には空襲警報を思い起こさせる音だったようだ

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緊迫した世界情勢を象徴している。選択肢にはないが緊張緩和につながる音も印象に残る。国連で核兵器禁止の歴史的な条約が採択された。ノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが演説した。いずれも鳴りやまない拍手。来年はもっと響かせたい希望の音である。

(12月31日)

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