長野県のニュース

「諏訪立川流」建築で復活 4月にも新会社

間瀬さん(左)が立川流彫刻の技術を注ぎ込んだ山車を確認する有馬さん(右)間瀬さん(左)が立川流彫刻の技術を注ぎ込んだ山車を確認する有馬さん(右)
 江戸時代後期の諏訪地方を拠点とし、全国の寺社建築を手掛けた宮大工の一派「諏訪立川流」が今年、建築と建物を飾る彫刻の双方を手掛ける大工集団として復活する。明治初めに建築を手掛ける人材が途絶え、彫刻技術しか受け継がれなくなっていた。6代目棟梁(とうりょう)「立川芳郎尚冨」を襲名した愛知県半田市の彫刻家、間瀬芳郎さん(67)が4月にも、建築技術を継承する会社を同県内に設立。まず、名古屋市が木造での復元を目指す名古屋城天守閣の工事に関わり、立川流復活をアピールしたい考えだ。

 立川流は、棟梁が関東や東海、中部地方に弟子を派遣し、寺社建築を請け負った大工集団。棟梁が描いた精巧な下図を弟子が現場で再現する手法で、仕事の水準を一定に保っていたという。ただ、3代目棟梁の立川和四郎冨重(1815〜73年)の死後は、建築を手掛けなくなった。

 一方、彫刻は5代目棟梁の立川尚冨(1856〜1925年)でいったん後継者が途切れたが、2015年に間瀬さんが6代目棟梁を襲名。間瀬さんは知多半島に残った立川流宮大工の子孫で、彫刻家として立川流建築の研究と伝承に務めた功績などが、立川本家の子孫らでつくる立川流棟梁家保存会に認められた。これまでに立川流彫刻の技術を注ぎ込んで半田市に残る山車の修復や制作を手掛けた。

 「立川流は技術を生かしてこそ意味がある」と考える間瀬さんは、立川流の技術を使った寺社建築の復活を模索。東海地方の寺社建築、改修で実績がある名古屋市の宮大工、有馬孝行さん(47)と知り合い、新会社を設立して立川流を復活させることで意気投合したという。同社には有馬さんの会社で働く職人3人も所属する予定だ。

 間瀬さんは諏訪地方や長野県塩尻市、下伊那郡高森町など県内の立川流建築について調査。これまでに彫刻、建築の下図や下絵約3千枚を収集している。「下絵を使って実際に建物を造れば、建築の世界から見た新しい発見もあるのではないか」と期待。新会社設立を機に、他の宮大工や研究者との交流も強めたいとしている。

 諏訪郡下諏訪町の諏訪湖博物館の元館長で、諏訪立川流の歴史に詳しい宮坂徹さん(67)は「立川流が再び全国で名を上げ、長野県内の立川流建築にも注目が集まることを期待したい」と話している。

(1月4日)

長野県のニュース(1月4日)