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絵で残したインパール作戦 飯田出身男性の回想録

インパール作戦から生還した牧内さんが残した回想録。険しいアラカン山脈を物資をかついで行軍する様子を描いているインパール作戦から生還した牧内さんが残した回想録。険しいアラカン山脈を物資をかついで行軍する様子を描いている
 長野市の赤塩園(その)さん(75)が昨年、太平洋戦争中の1944(昭和19)年、旧日本軍のインパール作戦に参加し、生還した父親の回想録を見つけた。同年1月7日に計画が発令され、3万人以上が戦死・病死したとされる無謀な作戦の様子を絵で表現している。専門家は兵士が絵で残した史料は貴重と評価。戦争体験者が年々減り、関係資料が重みを増す中、赤塩さんは「回想録を戦争の悲惨さを伝えることに役立てたい」としている。

 赤塩さんの父親は飯田市出身の故牧内寛末(ひろすえ)さん。43年に召集され、現在のベトナムを経てビルマ(現ミャンマー)に送られた。陸軍兵長として作戦に参加した。46年に帰国、2000年に82歳で亡くなった。

 昨年5月の命日に、生前、牧内さんが暮らした伊那市の家に親族が集まった際、牧内さんの思い出の品を探し、戸棚の中から見つかった。

 A4サイズほどの紙で54枚。一部は破れ、無くなっていたが、旧制飯田中学校(現飯田高校)在学中から油彩画に取り組んでいたという牧内さんは戦後、戦場での記憶を思い返して描いていた。

 回想録の絵には、戦線に赴く丸い眼鏡をかけた牧内さん自身とみられる人物の姿もある。作戦の場面では、荷物を背負った兵や馬が一列になり、2千メートル級のアラカン山脈の険しい山道を進む様子や、包帯を巻いた負傷兵や片手を失った兵士らも描いている。飢えに苦しみ、主食だったミョウガやタケノコも登場する。

 親族によると、回想録が描かれたのは戦後間もなくとみられる。妻の芳美さん(98)=伊那市=は、家に戻った牧内さんが玄関で突っ伏し、「大勢の部下を亡くしてしまった」と肩をふるわせ泣いていたのを覚えている。

 「戦争は絶対してはいけない。よく覚えておくように」。長女の赤塩さんは子どもの頃、牧内さんからよく聞かされた言葉を改めて思い返し、回想録を通じて戦争の悲惨さを伝えたいと思うようになったという。昨年12月、長野市出身のシンガー・ソングライター清水まなぶさんが戦争体験者の証言をまとめた「追いかけた77の記憶 信州全市町村 戦争体験聞き取りの旅」(信濃毎日新聞社発行)の出版記念報告会が長野市の信毎本社で開かれると知り、回想録を手に会場へ。清水さんらに見せ、親族以外に初めて公開した。

 県立歴史館(千曲市)の青木隆幸・学芸部長は「インパール作戦は生還者が少なく、あまりにも凄惨(せいさん)な体験だったため、体験を語らない兵士が多かった」と指摘。「絵を中心とした証言記録は珍しい。兵士の目に焼き付いた戦争の実相を、世代を超えて多くの人に分かりやすく語り継ぐ力になる」としている。

(1月7日)

長野県のニュース(1月7日)