長野県のニュース

善光寺の「ぬれ仏」 横浜の寺に原型か

善光寺山門近くにある「ぬれ仏」善光寺山門近くにある「ぬれ仏」 横浜市の光明寺にある木造の菩薩坐像(伊藤さん撮影)横浜市の光明寺にある木造の菩薩坐像(伊藤さん撮影)
 横浜市の光明寺にある木造の菩薩坐(ぼさつざ)像が、善光寺(長野市)の国重要美術品「銅造地蔵菩薩坐像(通称・ぬれ仏)」を鋳造するため、江戸時代中期に造られた原型である可能性が高いことが、「いいづな歴史ふれあい館」(上水内郡飯綱町)の伊藤愛加学芸員(29)の調査で分かった。鋳造に使われた木造の原型が、信仰の対象として使用されたとみている。ふれあい館は21日、研究報告の講演会を町民会館で開く。

 仏像彫刻に詳しい清泉女子大(東京)の山本勉教授(64)は「木仏師が造った原型が、金属の仏像が完成した後にどうなるかという視点は、これまで考えられていなかった」とし、原型について着目した研究は珍しいと指摘。「実際の仏像と原型の仏像との大きさの差などが具体的に分かってくる」とみる。

 善光寺事務局は、ぬれ仏について「資料が無い」とし、研究の進展が「善光寺の財産になる」と期待している。

 ぬれ仏は台座から上の高さが2メートル68センチ。台座には、飯綱町出身の僧・円信が1722(享保7)年に善光寺に奉納したことが記され、仏師の高橋大学(だいがく)や鋳物師(いもじ)の河合兵部(ひょうぶ)らの名前が刻まれている。ただ、ほかに資料が無いため建立の経過は分かっておらず、ふれあい館が2009年ごろから研究している。

 伊藤さんが高橋大学と河合兵部の作例を調べたところ、横浜市の光明寺に高橋大学が彫った菩薩坐像があると判明。寺を訪ねて菩薩坐像の内部を調べると、高橋大学の銘と享保8年の奉納を示す記述があることを確認した。ただ、どこに奉納したのかは書いていない。像が光明寺に移転したのは昭和初期で、それ以前の経過は不明という。

 ぬれ仏と比較した結果、顔や着衣、手にしている「錫杖(しゃくじょう)」の持ち方が酷似しており、伊藤さんはぬれ仏の原型ではないかと仮説を立てた。伊藤さんらが菩薩坐像の大きさを計ると、高さはぬれ仏よりも4センチ低く、部品を組み合わせる工法で生じる誤差の範囲内と考えられ、奉納年が1年後と近いことから、仮説を裏付ける要素になるとする。

 今後は鋳造の専門家による調査も検討し、さらに裏付ける証拠を見つけたいとする。

 講演会は午後1時半から。申し込み不要、入場無料。

(1月20日)

長野県のニュース(1月20日)