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オウム事件 終わりにはできない

 裁判は終結しても事件は終わっていない。

 オウム真理教を巡る一連の刑事裁判が事実上、幕を閉じた。最後の裁判だった元信者高橋克也被告の上告審で最高裁が被告の上告を棄却する決定をした。一、二審の無期懲役判決が確定する。

 国内で発生した最大のテロ事件である。1994年の松本サリン事件では8人が犠牲になり、重軽傷者は600人に及んだ。95年の地下鉄サリン事件では13人が亡くなっている。坂本堤弁護士一家殺害などを含め、犠牲者は計29人に上る。国が確認した被害者は計6500人以上になる。

 捜査と裁判は長期化した。95年3月の強制捜査から既に23年だ。教団幹部ら約190人が起訴され、教祖の松本智津夫死刑囚ら13人の死刑、5人の無期懲役判決が既に確定している。遠くない将来、刑が執行されるだろう。

 それなのに、事件はまだ「闇」の中にある。

 被害者の多くは、その場に住んでいたか、居合わせただけだ。何の理由もなく命を奪われ、身体を傷つけられた。遺族の心は癒えず、サリンなどの後遺症に悩む被害者も少なくない。

 松本死刑囚は一審途中から黙して語らなくなり、弟子たちに無差別テロを命じた動機は解き明かされていない。

 手を下した信者の大半は、大学などで学んだ青年たちである。自分たちの行為が何をもたらすか理解していたのか。被害者の命を顧みることはなかったのか。教祖の命令を疑うことなく実行した理由は不明確なままだ。

 私たちはこの事件をどう受け止めればいいのか。

 浮き彫りになっているのは、一つの価値観を一方的に与えられ心が支配された時、人は他者に対する思いやりや優しさを簡単に捨てかねない、という現実だ。

 人と人とのつながりが薄れ、孤立している現実がある。不安が高まれば大きな力に引き寄せられる。カルトはそんな社会に染み込みやすい。

 根源的な問いに対する答えは、事実の追求なしには得られない。刑の執行まで時間は残されている。重要な事件に関わり服役中の信者もいる。手段はまだある。

 事件を知らない世代が成人となり、やがて社会の中心的な役割を担っていく。記憶と教訓を未来に伝えていかねばならない。「一部の異常な人たちによるテロ」として割り切るには、あまりに重大な事件である。

(1月21日)

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