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「善光寺四十九霊地」紹介 郷土史研究会 伝承を本に

善光寺四十九霊地についてまとめた書籍を手にする小林一郎さん(左)と玲子さん善光寺四十九霊地についてまとめた書籍を手にする小林一郎さん(左)と玲子さん 善光寺四十九霊地の一つ「箱清水」。一帯の地名の由来にもなっているという善光寺四十九霊地の一つ「箱清水」。一帯の地名の由来にもなっているという
 長野郷土史研究会(長野市)は、江戸時代に現在の長野市の善光寺周辺の住民が「善光寺四十九霊地」として親しんだ寺社や橋、池などを紹介する本をまとめた。歴史や伝説と結び付いたそれぞれの由来などを見直し、散策コース向けに提案して観光資源として活用してもらう狙いだ。4日に市内で開く同会の総会で発表する。

 同会によると、四十九霊地はいつ誰が定めたのかなど詳しい起源は不明。仏教の弥勒菩薩(みろくぼさつ)の世界にあるとされる49の宮殿を現実になぞらえたとみられる。江戸時代中ごろの文献に出てくるという。

 四十九霊地は「寺」「社」「橋」「池」「清水」「塚」「小路」に7区分され、それぞれ7カ所ずつ計49カ所。「社」は神社、「塚」は墓など、「清水」は湧き水や井戸、「小路」は生活道路を指す。どの地点に当たるか複数の説がある霊地もあり、本では計62カ所を掲載した。

 霊地の一つで、一帯の地名にもなっている湧き水の「箱清水」は、「お茶などにも向いた良い水なので、昔は遠くから天秤(てんびん)棒を担いで水を汲(く)みに来る人が大勢いたそう」と紹介。善光寺北側を巡る散策コースに組み込んだ。

 信州大工学部(若里)の近くにある「姫塚」は、源平の合戦で活躍した武将熊谷直実(なおざね)の娘の墓。出家して善光寺で修行した直実が建てたとされる。宿坊が並ぶ「法然小路」は、浄土宗を開いた法然が善光寺に参詣した際に宿坊に宿泊したことが由来と伝わる。

 既になくなった霊地も紹介。県庁北西の「独寝(ひとりね)橋」は昭和初期の道路工事で外されたが、近くの妻科神社祭神の妻科姫に夫がいなかったため、「婚礼では渡らない習慣があった」などと説明している。

 同研究会は、1993年に七福神をテーマにした善光寺門前の寺社巡りを提案、定着した経緯もあり、今回の四十九霊地を巡る観光の定着にも期待を掛ける。

 会長の小林一郎さん(67)=長野市=は「四十九霊地は門前町独自の文化で長野の大きな特色。豊かな精神性を復活させたい」。妻で副会長の玲子さん(65)も「江戸時代の人々は日常に霊地を感じて生活していたはず。大勢の方々に巡ってもらいたい」と話している。

 B5判80ページ、税込み1080円。光竜堂(長野市)発行。市内の書店で販売する。

(2月2日)

長野県のニュース(2月2日)