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開拓団遺族 受け継ぐ慰霊 長野で法要継続

「第5次黒台信濃村開拓団」の慰霊法要に初めて参加した佐藤さん(手前左)。旧満州で亡くなったおじの遺影などを並べ、慰霊碑に手を合わせた「第5次黒台信濃村開拓団」の慰霊法要に初めて参加した佐藤さん(手前左)。旧満州で亡くなったおじの遺影などを並べ、慰霊碑に手を合わせた
 1936(昭和11)年に満州(現中国東北部)に入植した「第5次黒台信濃村開拓団」の元団員らが20日、長野市で現地で亡くなった団員の慰霊法要を開いた。約70年続いた法要も高齢化で昨年で終える予定だったが、同年3月に「最後の法要」と信濃毎日新聞が報じたのを機に団員の遺族が新たに参加することになり、今年も善光寺雲上殿で営まれた。参加者は、来年も平和に思いを寄せる場にしようと誓った。

 同開拓団は、県が県内全域から編成した全国初の県単位の移民団とされる。当時のソ連との国境近くに入植、約1600人が暮らしたが、45年8月のソ連参戦と敗戦による逃避行の中、集団自決などで千人超が死亡。生存者は400人前後だったとされる。

 慰霊法要は47年、長野市の善光寺で始まった。同窓会が発足し、72年には善光寺雲上殿の敷地に慰霊碑を建立。多い年は200人超の元団員が集まった。だが、元団員の高齢化で2014年に同窓会は解散。翌年から元団員有志が引き継いだが、体の衰えで継続が困難になっていた。

 昨年3月、現地で親族を亡くした佐久市の佐藤正範さん(70)、飯田市の小島洋志さん(79)らが、法要が最後になると伝えた信濃毎日新聞の記事を読み、元団員で世話人代表を務める中野市の三井寛さん(83)に連絡。三井さんは「遺族の参加は心強い」と、諦めていた法要を今年も開くことにした。

 この日は県内外から昨年を上回る14人が集まった。佐藤さんは、おじの佐藤伝治さん一家5人を慰霊した。母や祖母から、一家全員が逃避行中に消息を絶ったと聞かされてきた。伝治さんの遺影を慰霊碑に並べ、「おじさん家族も、喜んでくれるでしょう」と、静かに手を合わせた。

 小島さんは、おばの北村米子さん一家6人を亡くした。「子どもをたくさん産んで農業をやる」と大陸に渡った米子さんは、ソ連の侵攻で逃げ切れないと覚悟し、幼い子ども4人を体にくくりつけて川に飛び込んで自決したと聞いた。「ようやく一つの区切りが付いた気がする」と、ほっとした表情で話した。

 自身も逃避行でソ連軍に捕まり、父を亡くした三井さんは「こうして集まることで励まし合い、戦争をしてはいけないと誓い合いたい」。慰霊碑を前に「また来年も来ます」と話した。

(3月21日)

長野県のニュース(3月21日)