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高遠城の戦いをびょうぶに 完成まで4年、伊那出身の男性が市に寄贈

高遠城の戦いを描いたびょうぶを解説する池上さん高遠城の戦いを描いたびょうぶを解説する池上さん
 長野県伊那市日影出身の空間デザイナー池上典(のり)さん(74)=東京都日野市=が29日、1582(天正10)年の高遠城の戦いを描いたびょうぶを、同市高遠町歴史博物館で披露した。武田信玄の五男・仁科五郎盛信と織田勢の戦いで、図示した資料は残っていないが、文献を参考に描いた。資料収集から完成まで約4年をかけた大作だ。びょうぶは市に寄贈され、この日始まった同館の企画展「維新の激動と伊那・高遠の人々」の会場で展示している。

 高遠城の戦いは、織田信長の嫡子・信忠率いる5万人の軍勢を、仁科五郎が率いる約3千人の軍が高遠城で迎え撃つが、織田軍が勝利した。2700人余の兵が亡くなり、兄・武田勝頼への忠義を尽くして戦った仁科五郎が切腹して幕を閉じた壮絶な戦いと伝承されている。この戦いの10日後に武田氏は滅亡、3カ月後に本能寺の変があった。

 題名は「高遠城合戦の図」。6面から成り、高さ1・5メートル、幅約4・4メートル。左右の面から中心に向かって、時間の経過を描いた。兵たちの細かな表情まで繊細に描き込むため、2倍の大きさの紙に線画を描き、縮小して着彩している。各武将の家紋も詳細に描きたいと、一族の墓がある寺に連絡を取って調べるなど、資料集めにも腐心したという。

 制作する上で、織田信長の家臣が記した「信長公記」と、高遠藩を江戸期に治めた内藤家の家臣による「高遠記集成」などを参考にした。池上さんによると、合戦図は勝者側が武功をアピールするために描かせることが多いという。びょうぶは、城の当時の様子に思いをはせてほしいという願いから、高遠城を中心に据えて描いた。

 池上さんは、10年ほど前からライフワークとして高遠城を復元した図などを制作。「高遠城を語る上で、高遠城の戦いは欠かせない。この絵を見た人が、当時の様子を想像して議論し、歴史に興味を持ってほしい」と期待した。

 同館の笠原千俊館長(64)は「地域の皆さんの期待に応えられるよう、展示活用の方法を考えたい」と話した。企画展は6月17日まで。終了後は、同館の別の展示室で披露することも考えるという。

(3月30日)

長野県のニュース(3月30日)