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国家総動員法80年 言論の自由は誰のために

 言論の自由はなぜ、誰のために保障されているのだろうか。

 思想家の内田樹さんの論は簡潔、明快にして奥が深い。

 〈私もあなたも言いたいことを言う。理非の判断は、それを聴く皆さんにお任せする〉

 ある意見を封じ込めることは許されない。「言う権利」を損なうからではなく「聴く権利」を奪い「理非の判断を下せる人になるプロセス」を阻害するからだ、と。

 文部科学省が前川喜平前事務次官の講演を巡り、開催した名古屋市の中学校に目的などをしつように問いただした。自民党政治家の「照会」が発端だった。

 多様な生き方を学び、自分の生き方を考えることを目的に掲げた授業だ。前川氏は自らの不登校体験や夜間中学について語った。

 政治家や官僚の介入は現場の選択の幅を狭める。多様な「言論」に触れる機会が減れば、子どもの成長の芽を摘み取りかねない。



   <新聞が得た教訓は>

 いつの時代も国家は「言論」を支配したい誘惑に駆られる。「非常時」であればなおさらだ。

 80年前の1938(昭和13)年4月、国家総動員法が公布、5月に施行された。

 前年に中国との全面戦争が始まり長期化しつつあった。総力戦体制を築くために人的、物的な資源を統制する。その権限を付与された政府は勅令によって法令をつくることができた。

 「言論」も統制の対象に加えられた。〈国家総動員上必要アルトキハ〉政府は新聞や出版物への記事の掲載を制限・禁止できる。違反した新聞、出版物の発売や頒布を禁止することもできる。

 衆院の法案審議で新聞記者出身の羽田武嗣郎(長野2区)は「法の適正な運用を監視すべき言論機関を制圧し、世論の健全な発達を阻害する」と反対した。

 法案には「政府への白紙委任に等しい」との反対論も出たが、軍部の圧力もあって成立する。

 委員会審議では言論弾圧を予感させるような問題が起きた。

 陸軍省軍務課員の佐藤賢了中佐は大臣を補佐する説明員にすぎなかったが自説をとうとうと主張した。軍部に批判的な議員から発言資格を問う疑義が出ると、佐藤中佐は「黙れ」と一喝した。

 異なる意見を聴く権利への敬意などさらさらない。言論の自由への冒涜(ぼうとく)だ。議会は反発したが陸相が陳謝し事態を収拾させた。

 戦前、戦中の新聞統合による言論統制を研究した里見脩著「新聞統合」によれば、当初の法案には「新聞の発行停止」の厳罰規定が盛り込まれていた。

 新聞側は強く反発し、在京紙の幹部の親睦団体が発行停止条項の削除を求めた。政府がこれに応じると新聞側は矛を収めた。

 同書は▽新聞側の反発は「日中戦争に全面協力したのに規制するとは何事か」という感情的なものだった▽法案自体への批判は極めて消極的だった―と指摘する。



   <檻に囲まれている>

 言論の自由はなぜ、誰のためにあるのか。残念だが当時の新聞界には根本の問いが欠けていた。やがて言論統制に下から協力し、戦火の広がりとともに自らも組織を作って統制する側に回った。

 明治憲法で法律の範囲内との限定付きだった言論の自由は戦後、日本国憲法で制約なしに保障された。新聞の役割は重い。「なぜ、誰のため」を自問しつつ国民の知る権利や表現の自由を支えねばならない。その意味をはき違えている言動が後を絶たないからだ。

 3年前、自民党の会合で講師の作家が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言した。

 内田樹さんはブログに書いている。発言者はその新聞の読者に「お前たちはだまされている。間違った判断を下すだろう。私が判断してやるから『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのだ、と。

 言論の自由は今、再び檻(おり)に囲まれていないか。権力者の意向を過度に忖度(そんたく)し、場の空気を読めと同調を強いる風潮。特定秘密保護法や共謀罪による市民の監視。自由の領域が狭まり、多様な考え方がはじき出されかねない。

 前川前次官の講演を巡る文科省の質問メールに、校長や名古屋市教委は淡々と対処した。

 録音データ提出の求めを前川氏の許可を得ていないからと拒否。校長は人選について「いろいろな報道は承知しているが、私は前川さんの人となりから判断した。生徒や地域の方にじかにお話を聞いて判断してもらえればいいと考えた」と回答している。まっとうな考え、対応ではないか。

 記者会見で校長はこう述べた。「子どもたちに主体性が育つには私たち教職員、大人の主体性が必要だ」。言論の自由はそのためにも守らなければいけない。

(4月8日)

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