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あすへのとびら テレビの公平原則 撤廃は国民の分断招く

 「テレビ」を名乗るあるインターネットサイトが昨年秋、安倍晋三首相出演の番組を流した。安保政策、経済、拉致問題…。首相は約1時間にわたり持論を展開した。

 「安倍さんに頑張ってもらわないと経済は立ちゆかないし、(国民を)北朝鮮からも守れない」と司会者が水を向ける。首相は「今日はほめてもらって本当にうれしい」と応じていた。

 疑問が湧いてくる。これはテレビと言えるのか。

 ネット番組は電波を使わない。放送ではない。政治的公平などを定めた放送法は適用されない。

 だが首相の言い分を流すだけでいいのか。国民が感じている疑問を問いたださなくて、メディアとしての責任を果たせるのか。

 安倍政権が放送法の見直しを検討している。首相は今年に入り「放送事業の大胆な見直しが必要だ」と繰り返し述べてきた。

 柱の一つはソフトとハードの分離である。テレビ局はいま番組を自分で作り自前の設備で放送している。分離すれば制作と電波送出の会社に分かれる。テレビ事業は解体されネットと融合する。

 もう一つは放送法4条の撤廃である。放送局に対し政治的公平のほかに、▽報道は事実をまげない▽意見が対立する問題ではできるだけ多くの角度から論点を明らかにする―などを求めた条項だ。

   <憲法とセットで>

 放送法の制定過程を振り返る。1948(昭和23)年から2年間の国会審議を経て成立した。

 政府は初め、放送は編集者の意見を含まない―などの基準を定めて、違反したときの放送免許取り消し処分を盛り込もうとした。しかし憲法の「表現の自由」に反するとして連合国軍総司令部(GHQ)が反対し、見送られた。

 58年3月の衆院本会議。放送法改正案の審議で田中角栄郵政相は述べている。「放送の言論機関たる特性を十分に考慮し、ごうも表現の自由を侵すものでないよう配意した」。番組の適正は「放送事業者の自律によって」実現する仕組みになっている、と。

 安倍政権はこれまで放送への介入を繰り返してきた。根拠に挙げるのが放送法4条だ。総務相が国会で、放送法違反を理由として電波法に基づく電波停止を命ずる可能性に言及したこともある。

 こうした介入は許されるのか。答えは無論「ノー」だ。

 番組に問題があるときは放送局自身の判断で是正する。そのために業界は自主規制機関、放送倫理・番組向上機構(BPO)を持っている。そうした仕組みを支えているのが4条だ。

 放送局の自律は最高裁も認めている。例えばNHKの番組に取り上げられた人が訂正放送をするようNHKに求めた裁判で、2004年11月に出した判決だ。

 憲法21条「表現の自由」の保証の下に、放送法は番組編集の自由を規定している。他からの関与は許されない―。最高裁はそう指摘して請求を退けた。

 この訴訟で裁判長を務めた弁護士の才口千晴さん(長野市出身)は「テレビ局が番組内容に関して負う責任は国民全体に対してのもの。問題が起きたらテレビ局自身の判断で対処することを、憲法、放送法は求めている」と言う。4条撤廃についての考えを尋ねたら「放送が何でもありになっていいのか」との答えだった。

   <フォーラムの役目>

 米国は30年ほど前、言論・報道の自由を定めた憲法に反しているとの理由で放送の公平原則を廃止した。その結果どうなったか。

 米ギャラップ社の昨年の世論調査結果が興味深い。マスメディアを「信頼する」と答えた人は、全体では41%だった。支持政党別に見ると民主党支持者は72%が「信頼する」と答えたのに対し、共和党支持者は14%。主要メディアとトランプ共和党政権との対立が数字に反映している。

 そんな中で、大統領を支持する保守系メディア傘下の193局のキャスターらが主要メディアの「偏向報道」を一言一句変わらぬ言葉で批判する問題も起きた。テレビを使ったプロパガンダ、政治宣伝だとの批判を呼んだ。

 メディアの機能の一つにフォーラム(討論の場)がある。国民に考える材料を提供し、議論を深めてもらう。その役割を果たすには公平原則が不可欠だ。4条が廃止されてテレビが党派色を強めれば国民の統合どころか、分断を加速する結果を招くだろう。

 誤報、やらせ、取材の行き過ぎ…。視聴者がテレビに向ける目は厳しい。放送が信頼されるには役目の自覚と自律の努力が欠かせない。それなくしては政治からの圧力以前に、国民から見放されてしまう。放送法見直しの動きはテレビのありようも問うている。

(4月15日)

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