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香淳皇后からの菓子配布時、児童に渡す? 戦時中のビスケット現存

諏訪郡宮川学校と記された封筒(右)と中に入っていたビスケット諏訪郡宮川学校と記された封筒(右)と中に入っていたビスケット
 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、香淳皇后が県内への疎開児童にビスケットを配ったのに合わせ、宮川国民学校(現在の茅野市宮川小学校)の子どもたちに渡されたものとみられるビスケットが、16日までに見つかった。北信地方の市民有志でつくる信州戦争資料センター(長野市)の代表男性が入手。研究者によると、下賜(かし)品として菓子が配られた記録はあるものの、食べ物が現存する例は極めてまれという。

 ビスケットは一つで、縦4・6センチ、横3・5センチ、厚さ7ミリの卵形。「諏訪郡宮川学校」の記載がある封筒の中に包み紙にくるんで入っていた。封筒には「昭和二十年二月十一日紀元節ニ皇后陛下ヨリ疎開学童ニ賜(たま)ハリタルお菓子ト同一ノモノヲ宮内省(現在の宮内庁)ヨリ授与セラレタルお菓子」とも書かれていた。

 学童疎開に詳しい北海道大の逸見勝亮名誉教授(74)=近代日本教育史=によると、国は45年1〜3月、全国の疎開児童にビスケットを配布。長野県内では2月11日に一斉に配られた。宮川国民学校は当時、東京都中野区の谷戸国民学校の疎開児童を受け入れており、宮川小に残る当直日誌にも、同じ日に紀元節祝賀式と御賜御菓子伝達式があったとの記録がある。

 疎開経験者への聞き取りを重ねてきた逸見名誉教授は、物資の乏しかった戦時中、経験者にとって疎開は空腹やつらい記憶と結び付いていると説明。その中で、ビスケットの配布は「この時ばかりはいい記憶として鮮やかに残されている」と言う。一方で「子どもに学童疎開が国家的重要施策だと認識させ、必勝の精神を養い育てる役割を担った」とも指摘する。

 疎開児童に配られたビスケットでこれまで確認されたのは、松本市浅間温泉に疎開した東京都世田谷区の児童の家族が保管していた1点のみで、半円状に割れた品という。ただ、複数の疎開経験者に聞くと、配られたビスケットは円形だったといい、今回見つかった卵形とは食い違う。

 この点について逸見名誉教授は「宮内省が卵形も作った可能性もないとは言えないが、宮内省からの配布に合わせ、県が複製品を作ったとも考えられる」と推測。県の当時の資料にも、地元児童向けに複製品を配る方針を示す記述があるという。

 今回確認されたビスケットは、センター代表の男性が愛知県の個人が所有していることを知り、その個人から購入。疎開経験者の高齢化で記憶の継承が課題となる中、センターは「後世に疎開のエピソードを語る物証として貴重」とし、展示会などでの公開を検討している。

(4月17日)

長野県のニュース(4月17日)