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「童謡」の言葉が生まれたのは100年前、児童雑誌「赤い鳥」創刊がきっかけという。主宰者の鈴木三重吉は夏目漱石門下の小説家。わが子に与えたい読み物がないのを憂え、文壇の作家に提唱したのが童話と童謡の創作運動だった

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子どもらしい感性を育てるため三重吉は芸術性の高い作品を一流作家に求めた。創刊号には芥川龍之介が「蜘蛛(くも)の糸」を発表し、北原白秋、島崎藤村らも寄稿している。童謡運動の背景には、学校唱歌が大人の目線で教訓的であることへの批判があった

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大正デモクラシーの自由な風潮の中で清新な雑誌は評判となる。続いて「金の船」「コドモノクニ」なども登場、児童文学ブームが訪れた。「赤い鳥」にかかわった信州出身者は多い。中心となって曲譜を発表した草川信。自由画教育を唱えた山本鼎は児童の絵の選評を担当した

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800曲以上の童謡を作曲した中山晋平が主に発表したのはライバル誌の方だった。雑誌の投稿から有望な新人が見いだされ、競い合う中で名作が生まれていった。白秋に認められた海野厚の「背くらべ」は多忙の晋平が何にも優先して曲を付けている

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厚の肺結核悪化を知ったからだ。二番の詞も書き加えるよう指示し白秋の「アメフリ」を後回しにして完成を急いだ。発表の2年後、厚は28歳で早世した。人々の懐かしい思いが重なる童謡の数々。今年は100周年記念のコンサートが花盛り。あすは中野市の中山晋平記念館で開かれる。

(4月21日)

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