長野県のニュース

東御で確認の甲冑、実は「武田の赤備え」? 研究者が新説

東御市の個人宅で発見された赤い甲冑=2017年3月3日、長野市の真田宝物館東御市の個人宅で発見された赤い甲冑=2017年3月3日、長野市の真田宝物館
 真田か、それとも武田か―。東御市の個人宅で2016年に確認され、戦国武将の真田氏に関連するとみられていた赤い甲冑(かっちゅう)について、戦国時代に信濃を治めた武田氏と関連があるのではないか―との説が9日までに浮上した。研究者の調査で、より時代が古い可能性が出たという。甲冑や旗差し物を赤で統一する真田氏の「赤備え」は有名だが、武田氏にも「赤備え」の家臣がいたことが知られている。武田氏由来だとしても県内初確認となる貴重な赤い甲冑が、研究者らの研究意欲をかき立てている。

 甲冑は鉄製で、胸や背中に当てたとみられる五つの部分で構成する胴や、袖とこて、首元に当てる喉輪、ももを守る佩楯(はいだて)のそれぞれ一部が残る。いずれも表面には朱漆が丹念に塗られ、傷みは激しいものの赤色がよく残っている。

 東御市の深井家に伝わり、真田宝物館(長野市)の学芸員が2016年末に確認した。深井家の系図に、真田家につながる東信地方の豪族・海野一族の真田右馬允(うまのすけ)の名前があったことから、真田の赤備えとみられていた。赤備えは、大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)(大阪城天守閣所蔵)で、真田信繁(幸村)隊のいでたちとして描かれている。

 今回、別の見方を示したのは名古屋市の甲冑研究者、三浦一郎さん(60)。三浦さんは、甲冑の胴や腰回りの草摺(くさずり)の形から、作られたのは東国だと推定。胴の形やこての装着法が中世の形態で、武田氏が滅亡した1582(天正10)年の翌年に作られ構造が似た会津製の甲冑よりも「古い部分が多く見られる」といい、武田氏のものとの見方が強まった。

 三浦さんは、甲冑の各部位が全て同じ朱塗りであることからそろいの一式と推定。武田信玄の跡を継いだ勝頼が織田・徳川連合軍に敗れた1575年の長篠の戦いの後、家中に甲冑などをそろえるよう命じたとの記録とも合致する―という。

 ただ、海野一族や真田信繁の兄信之の家臣に深井氏の名が見られる一方、甲冑が残っていた深井家と武田氏とのつながりを示すものは現時点で確認されておらず、研究者は確証を追い求めている。

 三浦さんは「特異な甲冑が製作当時のまま発見された意義は大きい。中世から近世にかけた甲冑の変遷の解明につながることを期待したい」と強調。真田宝物館も「武田の赤備えは武田氏の領国だった他県の地域に残っているが、信州からも見つかったとすれば興味深い」としている。

(5月10日)

長野県のニュース(5月10日)

日付で探す

ジャンルで探す

ニュースランキング
本日のTop10(5/24 00:00更新)