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沖縄現代史研究の第一人者として知られた新(あら)崎盛暉(さきもりてる)さんが、沖縄に目を向けたのは1952年4月28日、講和条約が発効し、日本が主権を回復した日だった。入学したばかりの都立高校での出来事を「衝撃の日」と半生記に書いている

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校長が全校生徒を集め「きょうめでたく日本は独立しました。万歳三唱しましょう」と促した。米軍政下に残る沖縄を思い、周りの万歳に違和感を覚えたのだ。両親は沖縄出身だが、東京生まれの新崎さんがそれまで沖縄を強く意識することはなかった

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大学では卒論のテーマに沖縄を選び「墓参」目的の身分証明書で初めて渡航。あちこち歩き回るうち、米民政府から目的が違うと呼び出された。移住を望んだが、当時の軍政下では許されない。都庁職員の傍ら評論家中野好夫さんが開設した「沖縄資料センター」運営に携わった

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「生活を大事に」と中野さんが二足のわらじを勧めたという。希望がかなうのは本土復帰後。存続が危ぶまれた沖縄大の教員に招かれ、学長も務めた。大きな存在だったのは基地反対の市民運動を引っ張り理論的に支えたこと。82歳の訃報が惜しまれる

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きょう15日は「本土復帰の日」。46年前、過重な基地負担が決定的になった日でもある。新崎さんは「構造的差別」ととらえた。本土の米軍基地を減らす一方、日米関係維持のため4分の3を沖縄に集中させたからだ。差別に鈍感であってはなるまい。本土は何をすべきか考えさせられる。

(5月15日)

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