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長野に木製軍用タンク 旧日本軍「落下増槽」

長野市の事業所に残っていた木製燃料タンク。タンクを製造していた軍需工場の付属寮の看板(右)も残っていた長野市の事業所に残っていた木製燃料タンク。タンクを製造していた軍需工場の付属寮の看板(右)も残っていた
 太平洋戦争中、旧日本軍の軍用機に用いられた補助用の木製燃料タンク「落下増槽(ぞうそう)」が16日までに、長野市にある元軍需工場の建物から製作途中の状態で見つかった。県立歴史館(千曲市)などによると、航続距離を延ばすために使われたが、燃料を消費すると切り離して落とされていたため、現存するのは珍しい。県内での確認は松本市や上伊那郡南箕輪村などに限られ、同館は「戦争遺産として貴重」としている。

 長野市立博物館は近く、落下増槽の寄贈を受け、今夏にも公開する。工場では大工や建具職人、勤労動員の長野第二高等女学校の女学生らが働いたとされ、同館は当時を知る人の証言も集めたいとしている。

 見つかった落下増槽は2基で、ともに製作途中の状態。長さ約4メートルの円筒形で、飛行中に燃料の振動を和らげるために内部を仕切った「隔壁」が確認できる。旧海軍の艦上偵察機「彩雲」の胴体の下に取り付けられていたものとみられる。

 落下増槽があったのは同市中御所の不動産業「高橋製作所」所有の建物。太平洋戦争中は落下増槽などを製造し、戦後は1980年代まで建具工場として使われた。2016年に県立歴史館に寄贈された関連資料などには戦時中の写真もあり、概要は分かっていたが、落下増槽の現物は確認できていなかった。老朽化に伴い建物が6月末にも取り壊されることになったのをきっかけに、現物があることが確認された。

 高橋製作所役員の高橋俊一さん(46)や県立歴史館によると、同社は家具や建具の職人の組合「長野市木工家具建具工業小組合」が前身。1937(昭和12)年に名古屋陸軍造兵廠(しょう)の下請けとなり、40年に豊川海軍工廠の指定工場になった。44年8月、生産増強のため「高橋航空機製作所」として会社組織化。約3千平方メートルの敷地に工場が7棟あったとされる。

 一帯では昭和30年代後半に火事があったが、落下増槽があった建物は焼失を免れていた。今回は、戦時中に呼ばれた工場名と一致する「皇国第二五〇八工場第三寮」と書かれた付属寮の看板が残っていることも確認された。

 長野市立博物館学芸員の原田和彦さんは夏の公開に向け、「燃料タンクの大きさや形が立体的に分かる。大勢の人たちに見てほしい」とする。俊一さんの母で高橋製作所社長の静子さん(71)は「私たちに詳しいことは語れないが、(落下増槽の)現物だけが証拠。長野でもこういう物を造っていたということを身近に感じてほしい」と話している。

(6月17日)

長野県のニュース(6月17日)