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「あー戦闘は悲惨なり」 岡谷でシベリア出兵従軍兵の手記

岡谷市出身の藤森政徳さんがシベリア出兵時につづった2冊の日記(手前)と、日記を活字で打ち直した冊子を手にする次男の弘国さん岡谷市出身の藤森政徳さんがシベリア出兵時につづった2冊の日記(手前)と、日記を活字で打ち直した冊子を手にする次男の弘国さん
 1918(大正7)年8月に始まった日本のシベリア出兵に従軍した岡谷市出身の藤森政徳(まさとく)さん(故人)の出征時の日記が、同市にある次男の弘国さん(91)宅で見つかった。ウラジオストク付近に駐留した20年1月から半年間の記録で、現地での日本と抗日勢力との戦闘などが、一兵士の視点から生々しく伝わる。研究者も「兵士の心境が率直に吐露された史料として貴重だ」と評価。弘国さんはシベリア出兵から100年の節目となる今夏を前に、自分で打ち直して冊子にし、後世に伝えていこうとしている。

 藤森さんは諏訪郡長地村(現岡谷市)に生まれ、製糸業を営んで67(昭和42)年に71歳で亡くなった。シベリア出兵は23歳の時、陸軍松本歩兵第50連隊の上等兵として派遣された。見つかったのは、上着の内ポケットに入るほどの大きさの「懐中日記」と、シベリアで現地調達した「日記帳」の2冊。弘国さんが昨夏、父親の遺品を整理していて見つけた。このことは今年4月に信濃毎日新聞の「建設標」にも投稿した。

 日記で本格的な戦闘が登場するのは20年4月5日。未明から朝にかけ、抗日勢力700人の武装解除の任務に当たったと記した。「彼我(ひが)の銃声入り混じり戦闘は開始された。敵の本部建物に突撃して十数を斃(た)ほし、速(すみや)かに占領したるは、実に勇敢であった。我(わが)軍の死者騎兵二名」などと記述。敵の戦死者を「色青ざめて、鮮血四方に流れて悲惨なる光景なり。あー戦闘は悲惨なり」と描写している。

 占領した倉庫から衣服を盗んだ中国人と朝鮮人計10人を捕らえ、銃や刀で殺害したとの記述も。「彼等(かれら)の最後は皆泣いて居(い)た」としている。

 一方、シベリア出兵の意義を疑問視する記述も目立つ。出兵に政治上や軍略上の野心はないとした国の説明に触れ「ならば、撤兵すれば良いのだ。こんな大軍隊は要らない。日本でシベリア迄(まで)兵を出すのは馬鹿(ばか)(ばか)しい事だ」と批判。「排日熱が盛んであって、日本の軍隊が居(い)るも返って悪感情を持たせるばかりだ」ともつづっている。

 日記からは、故郷を懐かしんで病気の妻を気遣ったり、出征中に生まれる長女(弘国さんの姉)や、地元で行われた御柱祭に思いをはせたりしていたことも分かる。

 シベリア出兵に関する著書がある岩手大の麻田雅文准教授(38)=東北アジア国際関係史=は、日記について「20年4月に沿海州で行ったとされる武装解除に加わっている点で史料価値がある」と評価。さらに「出兵の目的が分からないというのは、多くの兵士に共通する心情だったかもしれず、率直に吐露しているのは貴重だ」とする。

 弘国さんは、父親からシベリア出兵時の具体的な話は聞いていなかったとし、「出兵の一つの記録として、歴史の中に埋もれないよう残していきたい」と話している。

(7月5日)

長野県のニュース(7月5日)