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オウム死刑執行 事件を問い続けなければ

 オウム真理教が引き起こした事件の真相が首謀者自身の口から語られることは永遠になくなった。教団を率いた松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)死刑囚に刑が執行された。

 宗教団体が武装化し、数々の凄惨な事件を起こすに至ったのはなぜか。核心は見えないままだ。

 死刑が執行されても「終わったこと」にはできない。事件が社会に突きつけた課題に向き合い、教訓を未来へ引き継ぐ努力を続けなくてはならない。

<動機が分からない>

 松本サリン、地下鉄サリンなど13事件を首謀したとして死刑が確定した。29人が犠牲になり、6500人以上が被害に遭っている。現行法が死刑を定めている以上、免れる理由は見当たらない。

 ただ、裁判は控訴審、上告審で審理が行われないまま一審の死刑判決が確定する異例の展開をたどった。拘禁によって精神に異常を来し、裁判を受ける能力を失っていたとして、手続きの適正さを疑問視する意見が出ている。

 8年近くを費やした一審の途中から、松本死刑囚は不可解な言動が目立つようになり、事件について口を閉ざした。弁護側は、治療を優先するよう主張したが、高裁はそれを退け、期日までに控訴趣意書を提出しなかったとして裁判を打ち切った。

 裁判の場で、真相を究明するための努力は尽くされたのか。弁護団の依頼で松本死刑囚に接見した精神科医7人はいずれも、訴訟能力を否定、疑問視していた。

 治療した上で控訴審を開いていれば、何らかの証言が得られた可能性はある。迅速な裁判が求められたにせよ、これほど重大な事件を一審だけで終わらせたことは、納得がいかない。

 死刑確定後も、治療が行われた形跡はないという。2008年以降は、弁護士や家族も面会できない状況が続いていた。心神喪失の状態にあったとすれば、死刑を執行したこと自体に問題がある。刑を執行できると判断した根拠は明らかになっていない。

 また、何より肝心な首謀者の動機が分からないまま、刑を執行すべきだったのか。治療して証言能力がある程度回復すれば、裁判のやり直しは難しくても、接見して話を聞くことはできたはずだ。その可能性も断たれた。

 オウム真理教の始まりは、1984年にできたヨガのサークルだった。それがわずか10年で1万人を超す信者を集め、ロシアに支部を設けるまでになった。

<社会を変質させた>

 オウムを長く取材してきた映画監督の森達也さんは「見えたのは“狂った集団”ではなく、むしろ純粋で優しい信者たちの姿だった」と述べている。そのことに目を凝らせば、誰にも起こり得ることとしてオウム事件を受けとめなくてはならない。

 救済を求めて入信した若者たちが、なぜ狂信的な教義に従順に従い、凶悪な事件に関わっていったのか。一連の裁判を通して明らかになったのは、組織に判断を委ねて自分自身で考えることをやめてしまうことの怖さだ。それもまた、組織に属する誰もが胸に手を当てて考えるべきことだろう。

 95年に起きた地下鉄サリン事件は、日本社会の変質を加速させたと森さんは指摘している。大規模な無差別テロ事件の動機が見えないことは、社会に過剰な不安やおびえを生んだ。それが異質な他者を排除する声を強め、一方で監視や管理の強化を受け入れることにつながっている、と。

 事件から20年余を経て、その傾向はより強まっていないか。在日韓国・朝鮮人への差別をあおるヘイトスピーチはやまず、矛先は沖縄の人たちや生活保護の受給者らにも向く。街や道路の至るところに監視カメラが設置されても気にする人は少なくなった。

<排除するだけでは>

 オウム事件は、過ぎ去ったことではない。私たちが今向き合わなければならない問題がそこにはある。目をそらし、考えることをやめれば、社会はさらに息苦しさを増していく。

 教訓はそれだけではない。地下鉄サリン事件は、警察が数日前に情報をつかみ、防げた可能性があると指摘されている。前年に起きた松本サリン事件で、信者が原料の薬品を購入したことを早い段階で把握してもいたという。それなのになぜ強制捜査に踏み切るのが遅れたのか。警察は検証し、公表すべきだ。

 教団は事件後、三つの団体に分かれて活動を続けている。主流派のアレフは、教祖への帰依を鮮明にしているとされる。死刑執行が神格化につながらないか、警戒を怠れない半面、団体規制法に基づく監視や規制は信教の自由や結社の自由を侵す危うさをはらむことにも目を向けたい。

 オウムを「絶対悪」として排除するだけでは、克服はできない。入信する若者は今も絶えない。それは社会の何を映し出すのか。問い続けなくてはならない。

(7月7日)

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