飾るフィナーレ…郷土の祭り4つ


[上田の「岳の幟」]

 1504(永正元)年、日照りに苦しんだ農民が地元の夫神(おがみ)岳に雨ごいをした時、雨が降ったため、お礼に反物を納めたのが始まりとされる。現在は7月15日に最も近い日曜日、別所神社の氏子が夫神岳で神事を行った後、青や赤、緑の反物を長さ6、7メートルの竹ざおにつけ、3頭獅子の舞いやささら踊りなどとともに総勢150人ほどが行列をなして、別所温泉街を練り歩く。上田市無形民俗文化財。

<晴れ舞台出演、別所を挙げて>

 上田市・別所神社総代表の柳沢荘一さん(75)

 世界中に別所温泉の「岳の幟(のぼり)」を見てもらえるなんて、私らにとって一生に一度のことだし、別所を挙げて出演したい。ふだんの祭りでは、幟は六十本程度だが、閉会式では百本ぐらい用意するらしい。各地区の皆さんにお願いして作ってもらうようにしたい。別所温泉の名前が知られ、『珍しいお祭り。今度行ってみよう』という人も出てくればうれしいね。

[清内路の「手作り花火」]

 1730(亨保15)年ころ、清内路村特産の葉たばこの行商で三河(愛知県東部)地方に出掛けた人々が、手筒花火を中心とした三河花火の製造技術を持ち帰り、地元神社の秋祭りで奉納するようになったのが始まり。村内に上清内路煙火同志会、下清内路煙火有志会があり、それぞれ10月上旬に地元神社境内で行う。古老たちの言い伝えを守り、独特の製法の工夫を重ねた仕掛け花火を披露する。県無形民俗文化財。

<大きな財産―飯伊の激励も>

 下伊那郡清内路村・村長(上清内路煙火同志会顧問)の原満征さん(54)

 古老の言い伝えを守り継承してきた手作りの仕掛け花火の伝統、文化を、世界に発信できるのは大変光栄。仕掛けの準備、安全性の確保などは協議しなければならないが、私としては出演要請にこたえたいと思う。飯田下伊那地方の方々から、『応援するから是非頑張ってほしい』と励まされてもいる。失敗が許されないプレッシャーもあるが、清内路に大きな財産を残すことになると思います。

[南木曽の「田立の花馬祭り」]

 1717(亨保2)年ころから、豊作、安産、家内安全などを願って木曽郡南木曽町田立地区の4つの神社で始まった。1908(明治41)年に五宮神社に合祀(ごうし)されて以降は毎年10月3日、3頭の木曽馬を用いて行う。365本の稲穂をかたどった竹に5色の紙を取り付けた「花」を馬のくらに差し、神社境内で観客が花を奪い合うのがハイライト。県無形民俗文化財。

<参加への意欲、県南から風を>

 木曽郡南木曽町・田立花馬保存会長の長渕正美さん(72)

 長野五輪に、県の南の端から風を送り込むのはいいこと。正直、他人事という雰囲気も強かったが、自分たちが参加するとなると、気持ちも変わってきた。今は、何としても閉会式を成功させたいと思っている。私自身、二十年余、花馬祭りに出す二頭の木曽馬を子どものように育ててきた。それが参加できるならこんなにうれしいことはない。どうすれば五輪にふさわしい花馬になるか、工夫していきたいですね。

[伊那谷の「獅子舞」]

 下伊那郡高森町の大島山瑠璃寺の獅子舞=写真=は約900年前から始まり、県内では伊那谷にだけ見られる練り獅子の源流とされる。毎年4月の第2日曜日に行い、獅子舞を先導する宇天王の所作、笛太鼓の曲が平安朝時代の舞楽を取り入れるなど貴重な形態を残す。県選択無形民俗文化財。飯田市の東野大獅子は7年に1度行われる飯田お練りまつりに登場する大きな幌(ほろ)掛けの屋台獅子。豪快で迫力のある舞が特徴。次回の飯田お練りまつりは来年3月。

<継承するにも、いいチャンス>

 下伊那郡高森町・大島山瑠璃寺獅子舞保存会長の福田千秋さん(79)

 出演の可能性を打診された段階なので、はっきりとは言えないが、大変光栄。正式な要請があれば、保存会メンバーである大島山区の百二十戸に前向きに諮っていきたい。瑠璃寺の獅子舞は何百年も歴史があるのに、継承に四苦八苦している。そんな中で価値を認めてもらったことが何よりもありがたい。継承するにもいいチャンスをもらったことになると思う。

(1997年7月21日 信濃毎日新聞掲載)