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スタートハウスの近くに車いすで現れた佐藤さんを、チームリーダーの竹脇直巳選手(北野建設)、仙台大で同期だった鈴木寛選手(グローバリー)ら代表選手が取り囲んだ。
佐藤さんがけがをしたのは三年前の二月十四日。その三年後の同じ十四日にパイロットとして五輪に出場する鈴木選手は「来てくれてうれしい。あいつの分も頑張らなきゃと思いますね」と喜んでいた。
佐藤さんの事故は仙台大三年の時。その朝一番の滑走でゴール直前、そりが転倒した。「地面にたたきつけられた。しびれがきた」。痛いと感じたのは一瞬だけ。意識だけは「やけにはっきりしていた」という。胸ついの脱きゅう骨折による脊髄(せきずい)損傷。二度と自力では立てなくなった。
篠ノ井高三年でボブスレーと出合った佐藤さんは、仙台大に進んでめきめきと力をつけ、長野五輪を目指していた。パイロットの有力候補として周囲の期待も高まっていた矢先だった。
「人前では気丈に振る舞っていた」(父親の修さん)という佐藤さんだが、「あの時に死んでしまった方がましだったんじゃないかと考えたこともあった」と明かす。
自立へのスタートは、事故から二カ月半後、長野赤十字病院から県身体障害者リハビリテーションセンター(長野市下駒沢)に移った時だ。「自分より大変な人を目の当たりにしたら、社会に出ていかなきゃという気持ちが強くなった」という。
センター職員が驚くほどの熱心さで訓練を続け、翌年、大学に復学。アパートで再び一人暮らしを始めた。「不自由だったけど、すごくいい経験だった。一人でどこへでも行ける自信がついた」
ボブスレーは今でも大好きだ。「本当に面白いんだよ。自分がやってたころより道具(そりやランナー)もいい。見ていてつらいのは、あれにもう一度乗りたいと思っちゃうことかな」
断ち切り難いボブスレーへの情熱。それをかつての仲間に託し、佐藤さんは新しい自分の道を歩む。
「駄目な時って、だれでも過去の栄光に目がいっちゃうけど、それをしても仕方がない。今は前だけを見ていかなきゃ」
(1998年2月6日 信濃毎日新聞掲載)