森が一歳の時、父の行成さん(55)が机の上に立たせると、スキーのジャンプをするような格好をした。周りの人が笑った。「おじいちゃんの後継者だな」
おじいちゃん―母方の祖父の敏雄さん(二年前に死去)は、国内のジャンプ競技にいち早く取り組み、明治大で名ジャンパーとして鳴らした。一九三六年のガルミッシュ・パルテンキルヘン大会(ドイツ)の有力候補だったが、直前の選考会で転倒。次回四〇年に予定されていた札幌大会は戦争のため返上され、五輪出場の機会を逃した。
敏雄さんの弟の史郎さんも返上された札幌大会の有力候補だった。その後、学徒出陣で入隊。終戦直前の四五年、特攻隊員として鹿児島県の基地を飛び立ったまま消息を絶った。
父の行成さんは、アルペンのトップ選手だった。六四年のインスブルック大会(オーストリア)の代表候補だったが、大会直前に骨折して夢が消えた。
母の喬子さんはインターハイ大回転の元チャンピオン。兄の晃さん、弟の徹さんも現役選手。そうそうたる経歴のスキー一家だが、これまでただ一つ無かった“勲章”が「五輪出場」だった。
森は「おじいちゃんの代から五輪を目指していたということは知っているが、夢を果たしたという意識はない」と話していたが、この日は「楽しいですね」と地元五輪をすっかり満喫。行成さんは「敏が努力でつかんだ五輪代表の座。親として、はしゃぐつもりはない」と言っていたが、この日は敏雄さんの口癖をまねて「いやあ、まだまだですね」と結構はしゃぎ、笑顔だった。
(1998年2月20日 信濃毎日新聞掲載)