プレーバック冬季五輪
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<第17回リレハンメル>
(ノルウェー・1994年)開催周期を変更したため、前回から2年後の開催となった。北緯61度、史上最北の小さなまちから「環境に配慮する五輪」を世界にアピールした。
日本は、ノルディック複合団体で五輪2連覇。複合個人の河野孝典とジャンプ団体が銀メダル。スピードスケートでも銅2個。
(6競技61種目、67選手団1,739人)
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<第16回アルベールビル>
(フランス・1992年)ソ連崩壊後、初の五輪で、EUN(旧ソ連合同チーム)が参加。統合されたドイツが金メダル10個で1位、EUNは9個で2位。
日本はノルディック複合団体で優勝。ショートトラックを含むスピードスケートでも銀1、銅4、フィギュアの伊藤みどりが2位。計7個のメダルを獲得し、冬季五輪史上最高だった。
(6競技57種目、64選手団1,801人)
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<第15回力ルガリー>
(カナダ・1988年)会期が12日間から夏季五輪と同じ16日間に延長された。初めてスピードスケートが屋内リンクで実施され、好記録続出。男子五百メートルで黒岩彰が3位となり悲願のメダル獲得。橋本聖子は5種目すべてに入賞。フィギュア女子でカタリナ・ビット(東ドイツ)が連覇。
(6競技46種目、57選手団1,423人)
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<第14回サラエボ>
(ユーゴスラビア=現ボスニア・ヘルツェゴビナ・1984年)2度目の五輪開催を目指した札幌は決選投票で3票差で敗れた。日本期待のスピードスケート男子五百メートルは、エース黒岩彰が10位と惨敗したが、北沢欣浩が2位となり、スケート陣で初のメダルを獲得。東ドイツが金メダル9個で、初めてトップ。
(6競技39種目、49選手団1,274人)
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<第13回レークプラシッド>
(米国・1980年)対立候補が立候補を取り下げたため、無投票で2度目の開催決定。スピードスケート男子のエリック・ハイデン(米国)が5種目全部で優勝し「怪物」と呼ばれた。フィギュア・ペアでイリナ・ロドニナ(ソ連)が3連勝。日本はジャンプ70メートル級で八木弘和が銀メダル。ソ連が金メダル10個でトップ。
(6競技38種目、37選手団1,072人)
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<第12回インスブルック>
(オーストリア・1976年)開催地に決まっていたデンバー(米国)が、市民の反対運動で開催を返上。経費削減のためボブスレーとリュージュを同一コースで行い、その後、この方式が慣例となった。ソ連が金メダル13個でトップ。札幌五輪で活躍した日本は、メダル・入賞ともゼロの不振だった。
(6競技37種目、37選手団1,123人)
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<第11回札幌>
(日本・1972年)札幌は、アジアで初の冬季大会開催。直前、アルペンの実力者カール・シュランツ(オーストリア)がアマ規定違反で追放された。ジャンプ70メートル級で笠谷幸生が日本としては冬季五輪初の金メダルを獲得。「日の丸飛行隊」がメダルを独占した。ソ連が金メダル8個でトップ。
(6競技35種目、35選手団1,006人)
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<第10回グルノーブル>
(フランス・1968年)札幌も立候補した6都市の争いで選ばれ、記録映画「白い恋人たち」のテーマソングは日本でもヒット。地元フランスのジャン・クロード・キリーが史上2人目のアルペン3冠王に。ノルウェーが金6個でトップに返り咲いた。札幌五輪を控えた日本は入賞ゼロの不振に終わった。
(6競技35種目、37選手団1,158人)
<第9回インスブルック>
(オーストリア・1964年)ボブスレーが復活、新競技リュージュも実施。ジャンプで70メートル級に90メートル級も追加。参加選手数が1千人を超えた。日本はスピードスケート男子五百メートルの鈴木恵一、フィギュア女子の福原美和の5位が最高。
(6競技34種目、36選手団1,091人)
<第8回スクォーバレー>
(米国・1960年)スケートでは初めて人工のパイピングリンクを使用。ボブスレーに代わってバイアスロンを実施。日本は初出場のアイスホッケーを含む3競技に52選手が出場。スピードスケート女子の高見沢初枝が3種目に入賞した。ソ連が金7個で2大会連続トップ。
(4競技27種目、30選手団665人)
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<第7回コルティナダンペッツォ>
(イタリア・1956年)ソ連が冬季大会に初参加、金メダル7個でトップに。東西ドイツは統一チームで出場。アルペン回転で猪谷千春が2位、冬季五輪で日本選手初のメダル獲得。トニー・ザイラー(オーストリア)が滑降、回転、大回転を制し史上初のアルペン3冠王に。
(4競技24種目、32選手団820人)
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<第6回オスロ>
(ノルウェー・1952年)冬季スポーツ発祥地が初開催。冬季で初めて聖火リレーも実施。スピードスケートで地元アンデルセンが3種目を制し英雄となった。日本はスキー、スケートに選手13人を派遣。スピードスケート男子五百メートルの高林清高の6位入賞が最高。
(4競技22種目、30選手団694人)
<第5回サンモリッツ>
(スイス・1948年)冬季大会は夏季五輪開催国で優先的に開く、との規定は39年に廃止。戦争で被害が少なかった中立国スイスが選ばれ、第2次世界大戦のため40年、44年と中止された冬季五輪が再開。日本とドイツは招待されなかった。
(5競技22種目、28選手団669人)
<第4回ガルミッシュパルテンキルヘン>
(ドイツ・1936年)ナチス・ドイツの国威発揚の五輪に。IOCはユダヤ人排斥のビラやポスターを撤去しなければ、大会を中止すると警告、ヒトラーは渋々、応じた。日本はスピードスケート男子五百メートルで石原省三が4位に初入賞。フィギュアで12歳の小学生、稲田悦子が10位。
(4競技17種目、28選手団668人)
<第3回レークプラシッド>
(米国・1932年)米国は国内候補地の中からこの寒村を選び、冬季スポーツの国内の拠点にするため投資した。地元米国が金メダル6個でトップ。ノルウェーが金3個で続いた。日本はスキー・ジャンプの安達五郎の8位が最高。
(4競技14種目、17選手団252人)
<第2回サンモリッツ>
(スイス・1928年)冬季五輪は夏季五輪開催国で行うとされていたが、同年のアムステルダム夏季五輪を開くオランダに適地がなかったため、スイスで代替開催。初参加の日本はスキー・ノルディックに6選手が出場したが、惨敗だった。
(5競技14種目、25選手団464人)
<第1回シャモニー>
(フランス・1924年) 冬季競技大会の独立を希望するフランス、スイス、カナダなどが提唱してシャモニー・モンブラン地方で同年の第8回パリ夏季五輪の冬季版として試験的に開催。翌25年に第1回冬季五輪と認定。日本は、前年の関東大震災の影響で不参加。
(4競技16種目、16選手団258人)
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